2018年12月13日木曜日

未発達ゆえに、十分な発達の保障がされなかったゆえに

友人から、「教室の中には発達障害の子がいっぱいる」という話を聞きました。
他人の感情が読めない子。
離席や衝動的な行動が目立つ子。
ボーとしていて集中できない子。
一つひとつ指示がないと動けない子。


確かに症状や様子を聞けば、発達障害が疑われますし、ギョーカイ系の医療機関にかかれば、すぐに診断名もつくでしょう。
でも、私は「未発達な子ども達」のように感じます。
どちらかといえば、遺伝的な要素よりも、後天的に、育つ環境の中で、発達障害になっていったという雰囲気を感じます。


就学前の子ども達の中にも、夜の10時、11時になっても起きている子ども達が増えているそうです。
子どもは、夜になれば、起きていたくても起きれないのが自然なのに。
まだ言葉がはっきりしていない時期からタブレットで動画を何時間も観て過ごしている子どももいます。
食事も、食べたくないものは食べない、また食べなくてもいい、という家庭が普通になっている。
こういった話を聞くたびに、子どもの発達する権利は守られているのだろうか、と思います。


「寝られない子」ではなく、「寝れない子」
「食べられない子」ではなく、「食べない子」
「タブレットの刺激に圧倒されている子」ではなく、「タブレットが好きな子」
私が、子どもの神経発達について指摘すると、こういった言葉が返ってきます。
あたかも、それがその子の「個性」であるかのように。


大人の中には、寝られない人もいるし、食べられない人もいます。
四六時中、タブレットを見たり、スマホをいじったりしている人もいます。
もちろん、大人であっても、それは不健康な状態といえますが、大人ならなんとかやり過ごすことができます。
しかし、それが子どもとなれば、しかも、乳幼児となれば、影響の大きさは比べものになりません。
ある程度、神経発達が完成し終わった大人と、今まさに神経発達をしている最中の子ども。
人類の歴史の中で、たった数年、数十年の間に生まれた刺激に対し、適応できるだけの身体にはなっていないのです。


不登校の子ども達の相談もよくきます。
学校の人間関係、トラブルなどが理由として挙げられ、それに対しカウンセラーが、教員が、学校が、家庭が話し合いを続けたりします。
そして、それでも解決の糸口が掴めなければ、医療機関にかかり、発達障害という診断を受ける。
「そうか、発達障害があったから、学校に行けなくなったんだ。人間関係でトラブルが起きたんだ。勉強、学校というシステムに馴染めなかったんだ」と、周囲が一応の納得をするための答えとして診断を受けるのが、お決まりのパターン。
でも、日々の生活を振り返れば、「そりゃあ、朝起きれないよね」「学校行けないよね」「一度のトラブルで心が折れるよね」「勉強に集中できないよね、ついていけなくなるよね」ということが多いのです。


夜通し起きていれば、朝学校に行けないのは当たり前。
栄養が偏っていれば、登校する力、授業を受ける力、何事にも意欲が出なくなるのは当たり前。
しかも、それが乳幼児期から続いているとしたら。
神経発達に問題が出るのは、自然と言うか、必然だと言えます。


人類史上、経験したことのないような急激な変化、強烈な刺激の中で子育てをしている現代の私達。
当然、人間の脳みそも、身体も、そういった環境に適応するだけの準備はできていないわけです。
昔は、「子どもは勝手に育つ」なんて言われていました。
でも、今は違います。
環境の揺り戻しを、親自らが行わなければなりません。
今ある環境のまま、育てようとすると、未発達な子ども達の神経は、強い刺激の中に吸い込まれていくのです。
ですから、これからの親は、学ばなければなりません、知らなければなりません。
そして、その家庭の差が、今まで以上に、子どもの発達、成長の差になって表れるはずです。


未発達ゆえに、十分な発達の保障がされなかったゆえに、「発達障害」と診断されてしまう子ども達。
正直、いろんなご家族と関わらせてもらっていますが、「遺伝的要素って、親御さんから、そんなに感じないな」という発達障害の子が増えたように感じます。


現状の医療、診断基準なら、未発達の子も、発達保障がされてこなかった子も、「発達障害」となります。
そういった子ども達が、ギョーカイの推進するスローガン「発達障害は治りません」によって、支援と配慮と環境調整にまみれ、発達障害者っぽくなる。
挙句の果てに、飲む必要のない精神科薬を処方され、福祉の世界に収まっていく。
これは、本人、家族、社会にとって不幸なことです。


この哀しさのねっこは、乳幼児期の環境に繋がっていることもあります。
なので、知ってほしい。
子どもは、大人ではないこと。
子どもは、神経発達の真っ最中であること。
子どもと大人では、その刺激の大きさ、インパクト、影響力がまったく異なることを。
せめて、未発達、発達保障がされなかった子ども達だけでも、全員治ってほしい、いや、治すべきだし、治さないといけないと私は思うのです。

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