2018年3月11日日曜日

生きる力とは、命を守る力

私は、子ども達が生きる力を培う、その後押しができているのだろうか。
いや、生きる力というよりは、自分自身で自らの命を守る力だ。


私達は、地震の多い土地で暮らしている。
これからも大きな地震がやってくるだろう。
地震以外の自然災害だってやってくるはずだ。
そんなとき、必要なのが、自らの命を守る力。


3.11のあと、地震や津波を想定した避難訓練、防災教育が意識的に行われるようになった。
もちろん、自分の住む地域で災害が起きたときに、どういった行動をとればよいか、事前に理解しておくことは大事だと思う。
しかし、それで十分なのだろうか?
私が子ども達に身に付けて欲しい力とは、防災に関する知識や行動なのだろうか?
こういった疑問を持ち続けていた。


3.11は、誰も想像できないことが起きた。
みんな、いつかは災害が起きることは知っていたのに、何かを考え、行動する時もないくらいの間に、多くの尊い命が失われていった。
震災を経験した方達の心の中には、今も救いたかった命がたくさんあるはずだ。


これから先も、自然災害を人間が完全に掌握することはできないだろう。
未曾有の災害のときには、自分の命を守れる人間は、自分しかいない。
だからこそ、子ども達には命の危険を察知し、その瞬間に命を守る行動がとれる人間に育ってほしいと思う。


それには、幼少期からの実体験が重要になる。
自然と同化し、いろんな遊びを通して、自らの身体と感覚を育て、研ぎ澄ましていく。
自然と対話し、身体と対話する営み。


自分の命を守るとは、動物の本能の現れだといえる。
そんな本能が発揮されるためには、人間脳より深い部分の育ちが必要。
受精し、魚類から両生類、爬虫類、哺乳類へと進化する過程の中に発達のヌケがあれば、命の危険を察することができないかもしれない、瞬時に命を守る行動がとれないかもしれない。
ヒトになる前の段階を丁寧に育てていくことは、その子の命を守ることでもある。


子ども達の人生を考えたとき、3.11のような大震災に再び遭う可能性がある。
また震災、自然災害以外にも、事件や事故に遭う可能性だってある。
そんなとき、親はそばにいないかもしれない。
少なからず、私はそばにいない。
だから、そばに人がいなくても、自ら動ける人間に育ってほしい。
絶対に、支援者がいないと動けない人間にはしてはならない。


命を守るという本能に突き動かされるように、身に迫る危険を察知し、考える前に身体が動いている。
私が関わった子ども達には、そういった自らの命を守れる、生きる力を持った人に育ってほしいし、育てないといけないと思う。


勉強ができる、仕事ができる、きちんと生活できる、すべて大事なこと。
でも、生きるスキルを身に付けるよりも、まず生きることが大事。
生きる力とは、生きるためのスキルを習得することと、生きるための本能が発揮できる身体の状態まで育っていること。
私が行っている発達援助は、この両方の視点を持ち、それらを培う後押しができているのだろうか。
私は、子ども達の命を守るという責任を果たしているのだろうか。
この日を迎えるたびに自問自答している。

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