2018年3月7日水曜日

自我と自制

子ども時代に自制する力を養っておくのは大事なことだと思います。
ヒトは社会性の動物であり、集団を作って生きる動物です。
もし自分の感情、欲望のままに行動していたとしたら、集団、社会は成り立ちません。
たとえ社会ができたとしても、それは強い者が弱い者を支配する集団です。
そこに自由な雰囲気、個々が大切にされた空気感はありません。
ですから、友達と思いっきり遊ぶために、学校の中でより良く学ぶために、そして社会の中で自分の資質を活かして自由に生きていくために、自分の感情や欲望などを抑えられることが必要になってくるのです。


ヒトが他の動物と異なる点は、この自制心だと思います。
人間脳が自制する力の源。
しかし、人間脳がいきなり発達しないように、いきなり自制する力を育てようとしても無理があります。
人間脳の土台に、爬虫類と哺乳類の脳の発達があるように、自制する力の前に大事な育ちがあると私は考えています。
それは自我を育てること。


自分がどんなことが好きで、どんなことが嫌いか。
自分はどう思い、どう行動するか。
自分は他の人と分かれた異なる人間である。
そういったことが感覚で、肌身で理解できることが大切です。
そのために“自分を出す”時間、経験が必要になってきます。
“自分を出す”とは、「僕が〇〇したい」「私が〇〇と思う」ということです。


この“自分を出す”という育ちを飛ばし、自制心を養おうとしたら、どうなるのか。
それは動物のしつけであり、餌付けです。
上位の者が下位の者を押さえ付けるように、またアメとムチで相手の行動をコントロールするように。
私達が育てたい子ども達は、「僕は〇〇したい。でも、我慢する、相手に譲る」という姿ではないでしょうか。
「僕は〇〇したい」を飛ばしたり、否定してしまったら、ただただ我慢する、言われた通りに行動する、そんな動物のような子どもをつくることになります。


特別支援の世界は、どうも自制する力ばかり養おうとしていないか、自制できること=自立、ゴールと捉えているのではないか、と疑問に思うのです。
別の言い方をすれば、自分を出すことの否定、自我の否定です。
もちろん、不適切な行動は直さないといけませんし、自制できなければ、集団生活、自立は難しいことでしょう。
でも、自分というものをしっかり育て、捉えられるようになったあとに、自制があるのだと思います。


その人が自分を出すことが、あたかも問題行動であるかのように捉えるのも、不必要なものであるかのように捉えるのも、管理したい人間の目から見た捉え方。
自分を出す、ある意味、我がままになる時間と経験が、真の意味で自制心を育てる土台となります。
自分をしっかり出すことで、自分を知り、他人と異なる存在だと知る。
そして、しっかり出しきり、育てられたからこそ、他人も自分と同じように感情があり、欲望があることを理解できる。
だからこそ、自分は我慢できるし、譲ることだってできる。


「僕は、そのお菓子が食べたい。でも、今日は我慢するよ」
「私は一人でお使いに行くのが不安。でも、頑張ってみる」
「~する」のみで動物のしつけのように行動だけを身に付けさせるのではなく、「自分は〇〇だけれども、~する」というような人間らしい心を持った子に育ってほしいと私は思っています。
ですから、自我を育てる時間、自分をしっかり出す経験も、育ちの中で必要なことであり、大事な発達援助の一つだと考えています。

0 件のコメント:

コメントを投稿