2017年12月27日水曜日

福祉と保険は似ている

「保険をかける」と言うと、最初からうまくいかないことを想定しているようで、自分が傷つかないように逃げ道を作るみたいに使われたり、捉えられたりすることがあります。
でも、本来は「うまくいかなかったときに備えて、別の手段を用意する」という意味で、私は積極的な言葉として捉えています。
万が一が起きたとしても保険があるから安心できる。
別の手段があるから、目標に向かって思い切って行動することができる。
保険とは、人に安心感をもたらし、積極性を生むものだと考えています。


私は、福祉も保険のような存在だと思っています。
福祉があることで、本人も、家族も、安心して生活することができる。
安心が得られるからこそ、積極的に挑戦してみようと思うことができる。
それは同時に失敗を味わえること、存分に試行錯誤できることにもなる。
福祉の世界で働いていたとき、自分たちの存在意義は、いかに安心してもらえるかだと考えていました。
あのときはまだ措置制度でしたので、子どもを預けていく親御さんの寂しさの中に安堵した感情をみつけますと、そこに自分たちが頑張らなければ、という想いが湧き上がってきたものでした。


福祉に関する予算が減ったり、福祉施設に対する風当たりが強かったりします。
しかし、ただ単純に提供されているサービスだけではなく、見えないところで安心を得ることに、そして積極的な姿勢を生むことにもつながっていると思います。
福祉は、安心して生活するために、行動するために必要な存在です。
ただ間違ってはいけないのが、福祉は備えであって、目的ではないということです。


私自身、何かあれば、福祉が必要になるかもしれませんし、将来、年を取ったら福祉を利用する確率は高いと言えます。
でも、将来的に福祉を利用するからといって、最初から福祉を利用することを考えて生きているわけではありません。
これは発達障害の子ども達も同じではないかと思うのです。


学生時代、学校の先生が言う「どうせ卒業後は福祉だし」と、親御さんが言う「福祉の中でかわいがられる子にしたい」という言葉に、いつも嫌悪感を懐いていました。
どうして福祉が目的地になっているのだろうか。
どうして本人ではない人間が、福祉という道を選んでいるのだろうか。
そして施設職員だったときも、施設に入れて親としての役目は終わったというような種類の安堵感には反発心を持っていました。


「福祉に入ってゴール」という姿勢は、その子の可能性、選択肢を消しているように見えました。
本当にこの子は福祉がゴールなのか?
別の選択肢はなかったのか?
将来的に利用するだろうけれども、今じゃないのではないか、早すぎるのではないか?
そう思うこともしばしばありました。
そういった経験が「福祉は目的にはならない」という想いにつながっています。


福祉を目指した教育、福祉を意識した子育ては違うと思います。
症状が強く、困難が多い子の場合、福祉以外の選択肢が描けないこともあると思います。
でも、最初から福祉をゴールに設定してしまったら、どんどん積極性が失われていきます。
結果が見えているのなら挑戦や試行錯誤することよりも、「今楽しければいい」「今ラクな方がいい」に気持ちが流れていくのは自然なことなのかもしれません。


教育も、子育ても、その子の資質を伸ばし、磨いていくことが中心なはずです。
それには挑戦することや積極的に行動することが大事です。
そのために、安心という福祉の存在がある。
だけれども、今の特別支援は、福祉に安心ではなく、ゴールを求めている。
だから、積極性がどんどん失われていき、挙句の果てには、子どもに消化試合のような時間を過ごさせてしまっている。


保険を使うことが目的になってしまったら、保険の持つ本来の意味、役割が果たせなくなってしまいます。
「掛け捨ては持ったいない」
「もらえるものは貰いたい」
「だから、どうにかして保険金を貰おう」
そんな姿勢からは、人間の持つ力強さ、可能性が出てきません。
どんどん卑屈になり、どんどん卑怯になるばかりです。
そのようなことが特別支援の世界でも起っているように感じてなりません。


保険金をもらうために保険に入らないように、福祉に入るために教育、子育ては行わないはずです。
実態よりも、より重く、より困難に見せるのは、保険金詐欺と一緒です。

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