2017年12月26日火曜日

特別支援学校の波と、その正体

「特別支援学校化」なんて書くと、「特別支援学校がダメだと言うのか!」「そこが必要な子もいるんです!」という声がやってきます。
当然、特別支援学校という学びの場が必要な子がいて、そこで成長していく子もいるでしょう。
そして、その陰には、児童、生徒のために一生懸命教育をされている先生たちがいるはずです。


今となっては、仕事で関わらせてもらう方達は知的障害がない人やあっても軽度の人ばかりになりましたが、もともとは知的障害も、特性も、重い子ども達の支援を行っていましたし、強度行動障害と言われる行動障害の中でも特に症状が深刻な人達の支援を行ってきました。
日々の学びの場としての支援学校の重要性と必要性は、子どもや先生との関わりにより見てきたつもりです。


子ども達が学ぶことのできる学校には、普通学級、支援学級、特別支援学校の3つがあります。
それぞれの場に特徴があり、それぞれの場に目的、意義があります。
同じ支援学級でも、学校によって、それこそ、担任によっても大きく異なりますが、普通学級で学ぶか、支援学級で学ぶか、特別支援学校で学ぶか、はより大きな違いがあると感じています。
大きな違いというのは、その子の人生に大きな影響を及ぼすという意味です。
ですから、それぞれが独立しており、それぞれの場所で、それぞれの強みを活かした教育がなされるべきだと考えています。


私が懸念していることは、特別支援学校の波が支援学級、普通学級へ押し寄せていることです。
私が見てきた中では、支援学級は完全に支援学校化しています。
支援学校の縮小版が支援学級みたいな感じです。
当然、特別支援学校の良い部分は取り入れるべきでしょうが、通ってくる子ども達のニーズは特別支援学校とは違います。
支援学級だから学べること、支援学級だから育つこと、それを目的に子どもも、親も通っているのだと思います。


特別支援学校の波は、支援学級を飲みこみ、普通学級まで来ているような印象を受けます。
どの場でも、その子に合った教育は大切でしょう。
しかし、その子に合わせて周囲の環境が変えられてしまうこと、その子に合わせて周囲の子ども達が我慢や譲ることを続けるのは違うと思います。
その子にとっては苦手な環境でも、別の子にとっては適した環境ということもあります。
その子が快適な学校生活が送れたとしても、別の子にとって苦痛になってはなりません。
お互いが歩み寄り、妥協点を見つけていくことは基本であって、大事なことですが、「ASDの子にとっては、これくらいしなきゃダメなんです!」という具合に特別支援学校基準で迫っていくのは、普通学級で学ぶ子ども達、誰にとっても良くないことだと思います。


全国には、「私の地域は違う!」というところもあるでしょう。
でも、敢えて私の印象を書きます。
特別支援の考え方、そこで培われてきたものは、どんな場所でも活かすべきだと思います。
でも、あまりにも「特別支援」が前面に出過ぎて、支援学級も、普通学級も、その特徴や目的、意義を見失うくらい波に飲みこまれてきている。
今、特別支援学校も、支援学級も、大きな違いがなくなってきてるように感じます。
具体的な教育の内容もそうですが、進路、それこそ、卒業後の生活においてです。


本当は、支援学級で学んだ子ども達が大人になったとき、もっと障害者雇用枠で働く人がいて、もっと一般就労する人がいて良いはずです。
しかし現実は、福祉事業所だったり、無職だったりします。
普通学級というか、大学にまで進学した人までもが、そういったところを利用している。


私は、普通学級、支援学級、特別支援学校、それぞれで学ぶことが違うように、進路も違ってくるのが自然だと考えています。
それぞれの場で、より良く学び、成長することが最も重要なことだと思います。
でも、それぞれの場の特色が消されてくると、障害を持っている子は皆、「特別支援」という一括りにされてしまう。
卒業後に違いが表れてこないとしたら、それぞれの学びの場の特徴が十分に活かされていないと言えます。


正直、卒業後の違いは、学校の違いではなく、家庭、親御さんの違いだと私は思います。
支援学校卒業で、今、一般就労している人は、幼少期から親御さんが頑張っていました。
大学まで行ったけれども、仕事に就いていない人、福祉事業所に通っている人は、やっぱり家庭でも特別支援でした。
学校の影響が小さくなるということは特色が失われつつある。
支援学校卒業の子達と進路が被ってくるとしたら、支援学校の波が浸食している…。


特別支援学校の波の正体は、福祉の波です。
かつては支援学校も、教育の場だった。
でも、完全に福祉の波に飲みこまれた。
「福祉でかわいがられる子をどう育てるか」「どうせ卒業後は福祉だし」
この波を支援学級、普通学級に及ばせてはなりません。
これが私がもっとも伝えたい「特別支援学校化」の意味なのです。

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