2017年12月12日火曜日

試行錯誤を生じさせない診断

「子どもが、診断を受けに行くことを拒んでいる」
「子どもが、自閉症と認めない」
このような話は、ずっと前からあって、今も時々、耳にします。


診断を受けるかどうか、診断名を受け入れるかどうかは、例え親であっても、他人がとやかくいう話ではありません。
本人がより良く生きるために、自分の意思で受けるものであり、受け入れるものだと思います。
それなのに、他人が本人の主体性を奪おうとするからトラブルが生じるのです。


今の世の中、ネットで調べれば、すぐに診断基準が出てきて、自分でも確認することができます。
極端なことを言えば、わざわざ病院に行って診断を受ける必要性はありません。
診断基準だって、脳波を取るとか、血液を採取するとかではなく、ぼやっとした性格占いみたいなものなのですから、自分で「自閉っぽいな」「ADHDっぽな」で良いのです、自分自身を知るだけなら。


結局、病院に行く、診断を受ける、というのは、公的なサービスを使うために必要なだけだといえます。
この公的なサービスも、本人が「この部分でサポートを受けたい」という意思があるのなら、トラブルは起きないでしょう。
本人と家族間でトラブルが起きる場合のほとんどは、家族が公的なサービスを受けさせたいと思っている。
もっと言えば、この子の子育ての主導権を、責任を自分たち以外に渡してしまいたい、という想いが滲み出てしまっている。
それを感じて、本人が「診断を受けること=諦めること」と捉える…。


「診断を受けたくない」という本人の言葉は、「自分の人生、諦めたくない」という言葉に聞こえることがあります。
診断を受けたあと、サポートを受けながら、より良い成長と生活が描けるのなら、このようなトラブルは少なくなるはずです。
しかし、不幸の垂れ流しを続けてきた一部の当事者と大部分のギョーカイのおかげも加わって、自閉症や発達障害が未来を遮断する言葉になってしまっています。
本来なら、自分の特性を知ることは、より良い未来を築くことへとつながっている。
自分を知るからこそ、より良い成長と明日に向かって選択ができます。
現在、病院で診断を受けることの第一の目的が、公的なサービスを受けるため、となっているのがおかしいのだと思います。


明日につながらない診断なら受けない方が良いと思います。
本人の中に試行錯誤が生まれないとしたら、それは未来の遮断、最期通告だといえます。
子どもが「病院に行かない」「障害を認めない」というのなら、本人は諦めを促されていると受け取っている可能性があります。


障害をその名の通り障害にしてしまっているのは、誰なのでしょうか?
障害ゆえの工夫、障害ゆえの試行錯誤。
これこそが、より良く生きるための診断だと考えます。
診断書がギョーカイへの通行手形、日本医師会の既得権益、そして子育ての免除になってはならないと、診断受ける受けないの話を耳にするたびに、私は思うのです。

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