2017年1月19日木曜日

「腕を磨く」という意味の違い

「腕を磨く」という言葉から、「新しい技術を身に付ける」「身に付けた技術を向上させる」という風に連想する人が多い…ということに改めて考えてみて、気がつきました。
私は今までもっぱら「腕を磨く」=「視点を増やす」だと思って、支援者という道を歩いてきました。
だって、支援者は自分ではなくて、他人を支援する者だから。


技術は自分に属するものであり、視点は他人に属するものです。
技術が増えれば増える程、自分がより良く見られます。
視点が増えれば増える程、他人がより良く見られます。
いくら技術を持っていたとしても、他人のために活かせなければ、それはただの所有物にすぎません。
でも、視点が増えれば、その人を深く、立体的に捉えることができ、必要な援助の創造へとつながっていきます。


私は研修でも、専門書でも、そこから教わることが具体的になればなるほど、鬱陶しく感じ、自らボヤッと捉えるよう距離をおこうとします。
具体的な手順や方法などは、実際に人と対峙するときに邪魔になるのです。
同じ発達障害でも同じ人間はいないわけで、しかも、その瞬間瞬間で臨機応変な対応が求められる仕事です。
ですから、より具体的な方法が頭に残るということは、無意識に頭の中の方法へと引っ張られてしまう危険性が出てしまいます。
必要なのは、その方法のエッセンスであり、視点です。
エッセンス、視点を自分の中に取り入れることができれば、あとはその人に合わせて援助していくだけなのですから。


物と対峙する仕事の人間は、「腕を磨く」というのは、己の技術を高めること。
それがよい仕事へとつながるから。
しかし、支援者というのは、他人を支援する仕事なので、その他人のことを第一に考えなくてはなりません。
そのためには、その他人を知ること。
ですから、支援者の言う「腕を磨く」は、他人、もっと言えば、人を知るための視点を増やす営みのことを指すのだと私は思うのです。

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