2017年1月18日水曜日

アセスメントシートが生まれる意味

以前、アセスメントシートを作ったことがあります。
自閉症の特性とか、コミュニケーションとか、遊びとか…。
いろんな文献、研修資料から引っ張りだしてきて、自分たちの組織で使いやすいように、とアセスメントシートをせっせと作った覚えがあります。


アセスメントシートというのは、2つの側面があると思うんです。
それは「視点」と「均質」。
視点については、私の場合は親御さんを意識し、「こんな視点でお子さんを見てみてください」「私達は、こんな部分に注目して支援しています」と分かりやすく伝えることに重きを置いていました。


均質については、なんせ離職率の高い職場でしたので、どんな職員でもある程度はできるように、という目的がありました。
「最低限、ここくらいは見てくださいな」という思いと、外に対して「ちゃんと支援しているよ」と見せかけることが目的でした。
同じシートを使って、どの利用者さんも同じようにアセスメントしていたら、なんとなくやっているように見えますよね、実態はともかく。


本当にセンスがあって、良い支援者というのは、アセスメントシートなんていりません。
有名どころの療法では、必ずと言っていいほど、正式なアセスメントシートがありますが、それは下手くそでもアセスメントできたように感じさせるためのもの。
だって、アセスメントこそ、その人のセンスが問われる部分はないのですから。
そんな支援の入り口のところで、「この療法は、私には無理」と思われたら、その療法を学んでもらえないでしょ、使ってもらえないでしょ、資格取ってもらえないでしょ。


そもそもシートに書き出せるくらいで、アセスメントが終わるはずがありませんね。
生身の人間ですよ。
今、目の前にいるその人を構成しているのは、受精からの歩みであり、環境であり、学習です。
常に揺らぎ、変化が生じ、一瞬として同じ状態のない存在なのですから、いくら事細かく項目があったとしても、そのすべてを網羅することはできませんし、一瞬を切り取ったときから、すでに違う存在になっているのです。


「先行条件」が云々かんぬんっていうのもありますが、それくらい単純化しないと支援ができないという意味であり、ハードルを低く設定して多くの人に使ってほしいという意図が見えますね。
アセスメントシートは、アセスメントを単純化させ、普通の人を支援者にするためのアイディアです。
本来の意味の支援につながるようなアセスメントとはかけ離れたもの。
決してセンスのある支援者のためのものではありませんね。
ナントカ療法を教える側の人間は、いちいちアセスメントシートに書き込みません。
だって、シートができる前から、的確なアセスメントができ、良い支援ができたセンスのある人なのですから。


近頃、つくづく支援というのは、感覚が大事だと思います。
目の前で、その人と対峙した瞬間、その瞬間を的確に切り取れるというか、嗅ぎ分けられるような感覚。
頭で「コミュニケーションのレベルが」とか、「集中のレベルが」とか、「体調が」とか、「過去の経験が」とかやっていたら、支援まで進んでいきませんし、そうこうしているうちに別の存在に変化していますね。
それにその時々で、アセスメント項目の重み、意味合いは違ってきますし。
センスがある支援者とは、その瞬間瞬間を嗅ぎ分けらる感覚の持ち主であり、そこから過去からの物語、未来への物語が描ける人のことだと思います。


「この人、すごいな」と思う支援者って、いちいちアセスメントシートに書き込んで支援するような人ではないでしょ。
アセスメントシートに書いている瞬間、頭の中で考えている瞬間、その人は別の人へと変わっている。
だから、感覚的に掴むことと、過去~現在~未来の物語を描けることが的確な支援へとつながっていきます。
アセスメントシートに真面目に書き込んでいる支援者というのは、そもそも支援者に向いていないのです(ブ)

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