より良い社会を目指す方たちと共に

何年ぶりでしょうか、というくらい久しぶりに函館で新年を迎えました。
今朝は雲がかかっていて、綺麗に初日の出とは言えませんでしたが、雪もほとんどなく、穏やかな元旦でした。
妻が用意してくれたおせちをいただき、神社へ参拝。
昨年の感謝と、今年も温かく見守っていただけるよう手を合わせてまいりました。
大切な家族と一緒に新しい年を迎えられたこと。
この“とき”に感謝し、「有難い」と思った気持ちを大切に、今年一年も過ごしていきたいと思っています。


今日から新たな1年が始まりますが、1年というのはあっという間だと思います。
そして、あっという間の1年が積み重なっていくのが、人の一生。
小さいときから、私は「人の一生は短いな」と思っていました。
ときに、高齢になった自分の姿を想像し、「人生、あっという間だったな」と言うんだろうな、と思うことがありました。
その気持ちは、今も持ち続けています。


高校の野球部の監督が、「俺の人生の最後は、野球をやっていて良かったと思って死にたい」と話してくれることがありました。
だから、お前たちにも野球をやって良かったと思ってほしい、というのです。
その言葉は、今でも私の心の中に熱を持って生き続けています。


私は、この仕事をして良かったと思って最期のときを迎えられるのだろうか?
親から、ご先祖様から、数えくれない人達から受け継いだこの命をちゃんと使うことができているのだろうか?
一瞬一瞬を大切に、後悔なく、信念に向かって進むことができているのだろうか?
自分自身に問いかけます。


自分が生きた社会よりも、ほんのわずかでも良くなった社会を遺こし、後輩たちにバトンを渡したい。
それが親から渡してもらった命をきちんと使い、命をつなぐことだと思っています。
ですから、今年もより良い社会のために、己の信念を貫き、行動していきます。


人の一生は、誰にも分かりません。
また、発達障害の方達と関わる者としての時間も、あとどれくらい残っているかはわかりません。
だからこそ、今のこの瞬間も大切に生きていこうと思います。
より良い社会を目指す方たちと一緒に。
本年もよろしくお願い申し上げます!


てらっこ塾 大久保悠

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