理由が分からない生きづらさの根っこを探しに行く

この仕事をするようになって、世の中には、こんなにも生きづらさを抱えている人がいるんだ、と思うようになりました。
「学校に行けない」「仕事が続かない」「対人関係がうまくいかない」というような実生活での躓きからの生きづらさ。
過去のいじめや失敗経験からの生きづらさ。
聴覚過敏や疲れやすい身体、片づけられない、順序立てて物事が行えないような特性からくる生きづらさ。


このように、自らで生きづらさの端を掴んでやってこられる人がいる一方で、なんとなく生きづらさを抱えている人、理由が分からないけれども生きづらい人がいます。
上記のように、ご自身で生きづらさを掴まれている人は、その口調に苦しさがにじみ出ていますが、言葉が流れていきます。
そして語られていることと、目の前の姿が一致します。
しかし、「なんとなく」ですとか、「理由がわからない」という人は、たとえ自分ではこう思います、と論理的に説明していても、理由が伝わってこないのです。
本人や家族が説明した通りの部分に、発達課題を見つけようとしても、見つからないことが多いのです。


この夏、集中的に関わったお子さんは、自分の気持ちを話さなければならない場面になると、しゃべられなくなり、涙が止まらなくなります。
幼少期、言葉の遅れがあったために、発達障害の診断を受け、この自分の気持ちがしゃべられなくなるのも、言語発達の遅れや求められていることを想像する力の障害として見立てられ、お決まりの視覚支援とSSTで支援されていました。
でも、一向に良くならないし、変わっていかない。
それで、私のところに依頼がきたわけです。


親御さんは、支援者の言う通りに「障害からくるもので」と説明されていました。
でも、挨拶や雑談、質問には自然な反応が返ってくるし、足の親指やふくらはぎの発達に問題はなさそう。
会話の中に概念が出てきましたし、学校の勉強も遅れがない。
だから私は、障害特性ではないと思ったんです。
そして、その見立ては、この子の発言から決定的になりました。
私が「どうして、自分の気持ちを話そうとしても、言葉が出てこないんだろう?」と尋ねると、「わからない」と返ってきたのです。


「生きづらさの理由が分からない」と言われる人は、子どもに限らず、大人でもいます。
お子さんの発達援助で伺ったけれども、親御さんが言葉にできない生きづらさを抱えていた、なんてことは珍しくありません。
子どもの場合、また知的障害を持った人の場合、表現や論理的な思考などに制限があって、ということもありますが、ほとんどの場合は、本当に「分からない」という人ばかりです。


この「分からない」という言葉を聞いて、心理系の人は「過去の心の傷を自らで記憶の外に追いやっているのでは」と言いがちですし、特別支援系の人は「言語の遅れ」「想像する力の障害」と言いがちです。
もちろん、そういったケースもあると思います。
でも、私が出会ってきた方達は、上記の見立てに当てはまらないし、その見立てで支援をしようとしても、うまくいかないことが多かったです。
本人の受精から今までのストーリーから見ると、私の中では違和感を感じ、流れから外れた感じがします。


私は「分からない」という言葉を聞いて、こんな連想をします。
「分からない」というのは、言葉にできないということ。
つまり、言葉を獲得する前の段階に、発達のヌケがあるのではないだろうか、と。


言葉にならない不安、生きづらさを抱えている人の多くは、発達のごく初期に課題、やり残しがあるように感じます。
夏休みに関わった子も、生きづらさの根っこは胎児のときの発達にありました。
「もしかして、お子さんがお腹にいたとき…」と言うか言わないかのうちに、親御さんから言葉と感情が溢れ出ていました。


生きづらさの根っこを掴むことができたので、あとはそのときのやり残しの育て直しを行いました。
発達課題は、発達のヌケは、いつからでもやりなおせる、育て直せるが原則ですから。
夏休みの間、毎日コツコツと親子で育まれた結果、少しずつ気持ち、要求、欲求に関する言葉が出せるようになり、それに伴う不安感も減ってきたそうです。


「なぜ、学校に行けないんだろう?」
「なぜ、他人と顔を合わせると、逃げ出したくなるんだろう?」
「なぜ、お子さんが失敗しそうになると、苦しくなるのだろう?」
「なぜ、子どもの泣き声を聞くと、涙が出るのだろう?」
理由が分からない生きづらさというものがあります。
そんなときは、言葉にできない生きづらさであり、言葉を獲得する前の段階、時期に何かやり残しがあるのではないだろうか、と想像するのも良いかもしれません。


もちろん、目の前の人の状態や発達段階をしっかり見てから判断する必要がありますし、当然、受精から出産、現在に至るストーリー、流れを捕まえておくことも大事です。
それでも、本人が意識しているところ、表現し、説明している内容を聞いて違和感を感じたら、言語以前、意識が芽生える前の段階に、根っこを探しに行く必要があると思います。
「理由が分からない」というのは、それ自体が答えだったりするのです。

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