2017年9月18日月曜日

世の中で、唯一、働かないことを推奨してくる大人が側にいるのだから

「忙しいよ~」「辛いよ~」「休みたいよ~」と言う人に限って、あまり働いていない(ブ)
本当に忙しく働いている人は、そんなことは言わず、言う暇もなく、黙々と働いているものです。
「忙しいなう」「休みたいなう」と呟くくらいなら、その時間を休めばよいと思いますね。


このような人は、いくら仕事の量が少なくとも、「忙しい」とか、「休みたい」とか言うでしょう。
きっと彼らは、仕事のことをただお金を得るための手段としか考えていなく、中には仕事をすることが罰のように捉えている人もいます。
だから、「少ない労働で、多くの賃金」を目指している。


「仕事は、お金を得るために行うものである」というのは、真実だと思います。
しかし、それは表面的な捉え方。
仕事を通して成長し、より良い人生と社会のために自分の持っているものを活かす。
それこそが、本来の仕事の意味だと考えています。


成人した方達とお話をしていると、仕事は「お金を得るための手段」という面でしか捉えていない人も少なくありません。
また成人したら「仕事はするもの、すべきもの」という捉えでしかない人もいます。
こういう人は、総じて労働意欲が乏しい。


医師も、支援者も、成人した発達障害の人に対しては、働くことを勧めません。
自立してもらっては困るからです。
そのため、「二次障害ガー」と脅す一方で、「一生涯の支援が必要だ」と説き、働かなくても生きていける方法を教えます。
支援サービスの受け方、障害者年金の額と貰い方、そして、「最後は生活保護を申請すればいいんだから」と言うのです。
結局、生活保護を受けて生きることを勧めるのなら、就労支援はいらないし、早期診断、早期療育もいらない。
そういったサービスを作るんだったら、そういった心持ちで支援者がいるのなら、支援者、支援機関はいらなくて、初めから国が手当てを出し、丸抱えしていくシステムにすれば良いのです。


本人が持つ想像に関する特性と、労働を勧めない支援システム、労働意欲の乏しい支援者が折り重なると、「仕事はお金を得る手段」「仕事は罰のようなもの、できればやらない方が良い」という労働観が本人の中にできあがります。
こうなってしまうと、親御さんがいくら焦っても、就職しようとしませんし、就いたとしても続きません。


仲間集団を作ることが苦手な自閉症の人にとっては、仕事が大事な集団の場になるといえます。
人と関わることで気が付くこともありますし、集団で協働することにより、学ぶことも多くあります。
また何よりも、仕事が社会との接点となり、人生を豊かにすると思います。
友だちはいなくても構いませんが、人と関わる場面は生活の中に必要です。
ですから、仕事とは「お金を得るための手段」という表面的な理解だけではなく、こういった意味、意義があることを伝えていかなければならない、と考えています。


就労のための教育というと、体力や忍耐力、職業スキルやコミュニケーションスキル、ソーシャルスキルが注目され、重点的に行われますが、その子の中の労働観を養っていくことも大事だと思います。
労働観が確立していなければ、医師や支援者が働かない道へと手をこまねく間をまっすぐ歩くことができません。
世の中で、唯一、働かないことを推奨してくる大人が側にいる“特別”な道なのですから。


私は、子どもたちとの関わりの中でも、労働観を養ってもらおうと考えています。
ですから、学校へ通う意義、勉強する意義から一緒に考えるようにしています。
答えは一つではないと思いますが、学校に行くのも、勉強するのも、同級生と活動するのも、自分のためであり、自分以外の誰かのため、という意義に気が付いてほしいと思っています。


支援級の子が、交流学習や通常級への転籍となると、「支援級の方がラクでいい」「勉強したくない」「一日、遊んでいたい」と言うことがあります。
これは支援という名の接待につかってしまっている証拠でもあり、将来の「働かなくていいよ」という手招きに乗っかってしまう危険性あり、というサインです。


本来、子どもは好奇心の塊であり、まだ見ぬ世界への憧れ、自分自身が成長する喜びをより強く感じる時期にいるのです。
なので、その自然な動きが見られないのなら、周りにいる大人の責任です。
ここで周りにいる大人が改めなければ、働くことに意欲が持てない大人を育てることになる。
働く大人になるか、ならないかは、高等部になってからではなく、小学校に通い始めるくらいの頃から続いているのだと思います。


年少の子の若い親御さんに、私がお話ししていることでした。

0 件のコメント:

コメントを投稿