「〇〇“だけ”で」という言葉が漂わす寒々しさ

「遊ぶ“だけ”で」「運動“だけ”で」「栄養“だけ”で」
「治るはずがない!」「良くなるはずがない!」と言う人がいます。
こういう言葉が出てしまう背景には、「自分はいろんなことをやったけれども、ダメだった」という無念さや喪失感、敗北感などの思いがあって、「そんなはずはない」と言わなきゃやってられない、言うことで何とか過去と現在と向き合えている、自分自身のバランスが取れている。
そんな風に捉えていました。
でも、そういう思いだけの問題ではない人もいるような気がしてきました。


私は、この“だけ”という言葉に引っかかりがありました。
“だけ”と聞くと、無機質で、血の通っていない冷たさを感じるのです。
どうして、そこに冷たさが漂うのか。
子どもの発達、成長を諦めている感じがするための冷たさ…。
でも、それよりも、もっと底冷えするような冷たさなのです。


“だけ”という言葉には、その大人の子育て感、子ども感がにじみ出ていると感じます。
「プロテイン飲むだけで、治るわけないだろ」
もちろん、素晴らしい発達、成長をみせているご家族、治っていくご本人たちは、いくらプロテインが発達の後押しになったとしても、それだけを飲んでいるわけではありません。
栄養面からも、運動面からも、遊びや学習面からも、いろんな試行錯誤をし、より良い子育て、育みを日々実践され、積み重ねられています。
それに発達に関わることだけやっているわけでもありませんし、むしろ、発達の後押しに一生懸命なご家族ほど、日々の生活や家族での思い出作り、自分たちの趣味、楽しみを味わっていられるように思えます。


「〇〇が良かった、効果があった」という発言を、「〇〇“だけ”で治った」という風に変換してしまうのは、その人自身の脳内において。
つまり、子育てに効率性を求めているわけです。
少ない労力で、大きな成果。
そんな論理を、子育てに、子どもの姿に当てはめようとしてしまっていること自体、寒々しさを感じてしまいます。
そういえば、こういった「だけ」と言ってしまう人は、一つの療育や療法、特定の医師や専門家にこだわっている場合が多いですね。


子育てに、“だけ”は存在しません。
子どもも、大人も、たくさん試行錯誤していく過程に、発達があり、成長があり、自立があるからです。
「〇〇療法だけやっていれば、子どもは良くなる」
そこには子育てではなく、子どもが伸びやかに成長してほしいという願いではなく、あるのは、ただ大人のエゴのみ。
まるで、子どもを投資かなにかと捉えているのか、自分自身をより良く見せるためのアクセサリーの一つなのか、はたまた自分が仕事や家庭、人生でうまくいかない理由、言い訳に使っているのか。


「だけ」には、血の通っていない関係性が表れていると思います。
そして、冷たさの本質とは、その言葉が出てしまう人にある。
そうです、自然と使ってしまっている人、違和感すら覚えない人というのは、自分自身が親から、大人からモノとして見られた、育てられた原体験があるのです。
親の見栄のために、受験勉強を頑張った、大きな会社に入った。
親の世間体のために、自分がやりたいことを抑えてきた、親の願いが自分の願いと、自分自身を騙し生きてきた。
そういった人間としての悲しさが、いつしか、子どもを見る目となって表れてしまっている。
だから、「〇〇だけで」と言う人を見ると、底冷えするような寒々しさを感じてしまうのだと思います。


ずっと私は、一つの療法や支援、支援者、支援機関にこだわる人達の意味がわかりませんでした。
子育てとは、いいとこどりですし、子どもは日々変化するものなので、それに合わせてカスタマイズしていく必要があるからです。
機械を組み立てているのではないのですから、同じ手順、同じ環境で、黙々と淡々と、では子育てができるわけがありません。
でも、モノのように育てられた人というのは、我が子にも、それを当てはめてしまう。
モノなら、少ない労力で、良いものができる方に価値が生まれるから。


人とモノの関係性では、治るが想像できないのも無理がありません。
自分の想像を超えて、親の意向を飛び越えて変わっていくことが理解できないからです。
医師や専門家など、権威は親の象徴。
親を疑うという視点を持たずに、持てずに生きてきたわけです。
親の言う通り、親のために、歩んできた人生。
ある意味、モノとして自分の価値を高めることに心血を注ぎ、親に気にいられることが愛情だとしてきたのです。
だからこそ、医師などの権威が言った「治らない」は絶対であり、人と人との関係性で育まれる子育てがイメージできないのだと思います。


血の通った人と人との営み。
一方向ではなく、双方に刺激し合い、育み合うのが、子育て。
子どもや子育てに関することなのに、「〇〇だけで」という言葉が出てしまう人を見ると、子だけではなく、親に対しても、悲しみを感じてしまいます。

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