「入所施設はいらない」と言うのは、きれいごとでしかない!

タイトルの通りだと、私は思いますね。
よく施設関係で問題が起きると、「施設をなくせ」「施設は悪だ」みたいなことを言う人がいますが、あなた達に何が分かるんだと言いたいですね。
だって、実際に施設を利用し、生活している人達がいるんですよ。
施設だって、彼らの選択肢の一つじゃないんですかね。
「地域で暮らす」みたいな頓珍漢なことを言う人もいますが、施設だって地域ですよ。
確かに郊外に存在していることが多いですが。
そこだって、1つの地域です。
施設があるから、成り立っている経済活動だってあるんだし。

都市部で生活したい人もいれば、郊外の静かな場所で生活したい人もいる。
ある強度行動障害で入所してきた男の子は、都市部で生活していましたが、ずっと家の自分の部屋で生活していました。
小さいときは、公園やコンビニが好きで、よく出かけていたそうですが、行動障害がひどくなり、外に連れていけなくなったんです。
その子が郊外の施設にやってきた。
もちろん、近くにコンビニなどはありませんが、その地域のちっちゃい商店に好きだった買い物に行くことができた、それも数年ぶりに。
公園だって、他に子どもがいない時間にたくさん遊ぶことができた。
コンビニや商業施設がない郊外での生活を「かわいそう」と言う人がいるけれど、数年ぶりに買い物に出かけて、好きなおやつが買えた、公園で思いっきり全身で遊べた、というのは、都市部で部屋の中から出れなかった生活よりも豊かになったと言えないでしょうか。
他にも、都市部や町などで刺激が多い中で生活していた人が、刺激の少ない郊外の施設に来ただけで安定したってことも少なくありません。

確かに、本人のニーズではなく、保護者のニーズで入所してきた人もいます。
いろんな理由をくっつけますが、結局は「家でみたくない」って人も少なくありません。
地域の目を気にしたり、障害を持った子がいることが知られたくないって理由だってあります。
お金が入るときだけ面会に来る人もいますし、何年間も面会に来ない人なんて、ざらにいます。
ということは、入所施設がなくならない理由には、親のニーズだってあるんですね。
もし入所施設が閉鎖になったらどうなりますか?
住んでいた人達は、その日から家に帰ることができますか?
自分の住んでいるところの隣に、行動障害を持った人達が越して来たら、どう思いますか?
それでも「施設をなくせ」と言えるのでしょうか?
こういった現実があるから、行政と施設、社会と施設は、微妙な力関係が保てているのです。

このように本人にも、保護者にも、ニーズがあるんです。
そして、社会にも。
だから、「入所施設はいらない」っていうのは、現実を知らない人間のきれいごとなんです。
きれいごとと言えば、忘れてはいけないのが、教育関係者。
以前、どっかの施設で職員による入所者の虐待が明るみになったとき、「その職員をぶっとばしてやりたい」と言いまくっていた人がいました、教育関係者に。
それって、言っていることは一緒です。
今回の相模原の容疑者とも。
結局、自分が嫌な人間、必要のない人間は、危害を加えてもいいと思っている。
そんな人が教育を語っているなんて、チャンチャラおかしいです。
子ども達に嫌いな人間はぶっとばしても良いと教えるんですかね。
ダメなことはダメ、そういった人間とどうやって距離を取り、自分を守り、同じコミニティーで生きていくかを教える方が教育だと私は思いますが。

学校に登校し、「センソリールーム」と言って、下校までずっと狭い鍵のかかった衝立の中で過ごさせるのは、教育と言えるのでしょうか。
「卒業後は、ぜったい施設なんかに行かせない」と言っている人間だって、指導しているのは、ちゃんと勉強ができる子どもだけです。
問題行動や睡眠障害などに対して、「スケジュールで見通しを」「コミュニケーションカードでやりとりを」「できたら、ご褒美」なんて言いますがね、それはある程度、指導態勢が整った子に対する支援です。
本人の内面から湧きおこってくる問題や課題に対して、視覚支援も、ご褒美も、無視も、対応しきれないのです。
睡眠障害の人に対して、「寝る時間を伝える」「寝れたら、ご褒美のシールを貼る」「眠くありません」というコミュニケーションカードを用意する…そんなんで寝たら苦労はしません。
寝たくても、寝られないから、本人たちは苦しんでいるんです。
一晩中、眠たくても寝られなくて、苦しんでいる人、自傷他害に至る人を見たことがないのでしょう。

教育関係者の人達に言いたい。
できるんだったら、あなた達が誇る何とかメソッドで、行動障害を治してくれ。
そして、子ども時代に自立できるだけの力がつけられるような発達援助、指導をしてくれ。
行動障害になった人、家で暮らせなくなった人の中に、早期診断、早期療育といっていろんな支援機関、支援者とかかわってきたのにも関わらずってケースも少なくないですよ。
医療や教育は、福祉を下に見る傾向がありますが、その医療や教育が役割を果たさなかったために、こういった状況になっているというのもあるのだから。
ある意味、指導できる子を選び、指導をしているというのを自覚してほしい。
そんな一部の子だけのために特別支援があるわけではない。
また、支援する子を選んでいるのだったら、選ばれていない子ども達、成人した人達の生活支援をしている施設を批判するんじゃない。

私だって現在の施設のあり方が良いとも、みんながみんな郊外の施設に行けば良いとも考えているわけではない。
だからこそ、こうやって在宅支援の事業を起ち上げ、行っている。
目的は、将来の選択肢を増やすため。
いくつかある生活様式の中で、郊外の施設を選ぶ、街の中の施設を選ぶ、自宅で生活する…っていう選択が複数できるっていうのが、理想だと考えている。
はっきり言って、子ども時代に行動障害を治しておかないと、選択肢はなくなるし、将来、支援してくれる人もいなくなってくる。
好き好んで、「行動障害の人の支援をやりたい」って人はいないからだ。
問題行動や行動障害は治すのは当然だし、側にいる人間に責任があると思う。
そして、知的障害の重さにかかわらず、できるだけ自分でできることを増やし、心身の発達援助を行っていってほしい。

「社会が受け入れていくべきだ」
「入所施設はなくし、みんなが地域で暮らすべきだ」
というのは、きれいごとにすぎない。
または、自分たちの至らなさを隠しているにすぎない。
個別に見れば、施設は問題だらけ。
でも、だからといって、施設という選択肢をなくしても良いということにはならないだろう。
施設の問題は、施設入所の順番待ちが列をなしている間には解決しないと思う。
施設以外の選択肢を選べる人が増え、実際に選んでいく人が増えることにより、入所施設の問題は改善する方向へと進んでいくと考えている。
だから、こうやって施設で働いていた人間が、THE施設のおひざ元で、入所施設以外の選択肢が持てるような発達援助を行っている。
施設を変えるってね、内部からではできないこともあるんです。
きれいごとを言っている暇があるのなら、現実を直視し、行動で示す。
これが私のモットーです。
批判を恐れてはいけません。

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