2015年12月11日金曜日

障害者として生きるか、普通の人として生きるか

今年を振り返ると、「障害者として生きるか、普通の人として生きるか」という話をさせてもらうことが多かったと思います。
(もちろん、"普通の人"というのは、「普通の人になれ」という意味ではないですよ)
高校生や大学生、20代の若者と、このような話を度々しました。
それは、彼らが進路を選択する時期に関わっていた場合が多かったからかもしれません。

若者たちは、みんな悩んでいました。
周囲は診断を受けること、障害者として生きることを勧める。
でも、自分の心の中には、障害者として生きていきたくない、という思いがある。
だから、みんな揺らいでいたのです。

周囲の言いたいことも良く分かります。
自分たちの実績を増やしたいギョーカイは置いといて、家族なら得られるサポートがあれば、受けて欲しいと思うだろうし、将来、自分たちがいなくなったことを考えれば、金銭面でも、人材面でも、つながっておきたいと思うのでしょう。
でも、それは親御さんの安心であって、本人の安心にはつながっていない場合もあります。

「障害者として生きるか、普通の人として生きるか」という問いかけに、私は考えを述べることも、どちらかを勧めることはしませんでした。
ただ情報提供は、きちんとしようと思いました。
だから、障害者として生きるのなら、こういった制度、サポートが受けられること。
でも、その反面、本当の意味での自立は難しいこと。
就職先、進路の幅が限られて行くこと。
周囲からは、"障害者"として見られて生きていくこと。
周囲は、できない理由を障害のせいにし、また、自分自身も気が付かないうちに、障害を逃げ道にしてしまうようになる可能性があること・・・。

一方、障害者として生きない、という選択をした場合、他の人以上に、努力しなければならないこと。
障害のせいにできないということは、すべての責任を自分という人間が請け負うということ。
障害者として生きるよりも、選択肢は広がる分、困難も増えること・・・。

こういった話をそれぞれの若者に合わせてさせてもらいました。
情報提供の際、気を付けたことは、それぞれの選択肢のメリット、デメリットに、数的な差をつけないようにしたこと。
情報量の偏りが出ると、そちらの方に引っ張られる可能性があり、意図せず、誘導してしまうことがあるからです。
それだけ注意はしたが、なんとみなさん、「普通の人として生きる」という選択をしました。

「普通の人として生きる」ということは、人一番努力が求められることだと言えます。
また障害を言い訳にできないことでもあります。
しかし、若者たちの選択の背景には、「変わりたい」「自分の足で人生を歩みたい」という強い思いがあると感じました。
どちらの選択をしたら幸せになるかはわかりません。
でも、私は若者たちが選んだ道を応援していきたいと思います。

社会の中には、変わった人はたくさんいます。
でも、学校よりも、社会は変わった人を受け入れる度量があります。
社会は友だちがいなくても、変わった趣味を持っていても、ずれた動きや受け答えをしても、それを否定はしません。
自分で働き、自立した生活ができ、他人に迷惑をかけない人なら、受け入れてくれます。
また、社会は努力する人間に対しては温かい、ということも覚えておくべきことでしょう。

障害者として生きるのも、変わった人として生きるのも、本人の人生です。
他人がとやかく言うことではありません。
ただどちらの選択をしたとしても、本人の意思で選択することが大事です。
そして、どちらを選択したとしても、自分自身で努力しなければ、幸せな人生など訪れませんし、社会も受け入れてはくれません。
人生とは、選択の連続。
定型発達の人なら想像することで見える選択肢を、自閉症の人に見える形で表し、情報提供することが本当の支援だと考えています。

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