【No.1493】翻訳機みたいな援助者

私が通っているお店、個人でやっているところなんだけど、そには海外からの観光客もよく来ています。
欧米の白人系の人も見かけるし、アジア、黒人の人も見かけるよ。
そんな海外からのお客さんがやってくると、店主は同時通訳の機械を取り出して、パパっとコミュニケーションをとるんですね。
訊いたらいまのは通訳のスピードも、正確性も向上しているんだって。
以前のような不自然な日本語訳みたいなのもなくなって、「これ一台あれば大丈夫」って言ってた。


同時通訳、翻訳の機械が登場してもう10年くらい経つけど、いまはスマホのアプリにもなるくらいまで広がって、もちろん、中学生、小学生の息子たちも使っていますね。
英語が苦手な上の子は「アプリがあるから、もう英語勉強しなくていいんじゃね」なんてブーブー言ってる。
たしかに私たちのときのような受験のためだけの英語だったり、道具としての英語、外国語はもうアプリで良いかな、と。
でも、やっぱり言葉は道具だけど、海外の言葉を身に付けることはいろんな人との物理的、心理的なつながりを持つことができる良いものだと思う。
いくら同時通訳が当たり前の世界になったとしても、人と人との感情の交流、共感したり、ときに意見をぶつけ合うようなことってなくならないし、その価値は永遠なはず。


AIがどんどん進化を続け、特別支援の世界にも入ってくる。
で、診断はアプリ、脳の機能、働きはリアルタイムでデータをとってAIが分析してくれる。
そして極めつけは、今の状態ならこの方法が有効でダウンロードはこちら、で、画面を通じてモニタリングもしてくれて、今のやり方はちょっと違うとか、今日の達成度は96%とか、トレーニングのリードと評価をしてくれる。
もしかしたらトレーニング自体も必要なくなって、脳に直接、刺激を与えて治療する方向になるかもしれない。
診断から治療の自動化。
支援学校から福祉へのベルトコンベヤーよりはずっといいけど。


治すのはお任せで、治ったら子育て始めます。
良くいえば、役割分担。
悪くいえば、育児放棄。
ここは考え方だけど、「発達障害を治す」のは日常生活から切り離すことができるのだろうか。
私自身も「治療」や「リハビリ」という言葉を使ってる。
でも、子育て、その子を育てていく中で、その範囲内での治療だったり、リハビリだったりだと思っている。
治療“的”な子育て、リハビリの側面を持つ子育て、のほうが伝わるかな。
定型発達と地続きなら、どっちも、どの子も「育てる」という点で同じだし、「発達障害は病気ではありません」と言ってるんだから、やっぱりその舞台は家庭でしょ。


店主は同時通訳を使ってサービスを提供しているけど、一番は訪ねてきた海外の人達との心の交流を楽しんでいるんだと思う。
だったら、援助者が「この子は私たちにお任せあれ」と抱え込むのは親子の楽しみを奪うことじゃないかなと私は連想する。
資格だ、専門性だ、これは海外からの輸入もので、特別な訓練を受けた私にしかできない方法で、は「こんな風に英語しゃべれないだろ」「この道具は使わせないぞ」という声にも聞こえる。
でも誰でも使えるものが良くて、理想は本人が使えて、できれば自分の言葉で外国の人とコミュニケーションをとって人と人との交流を楽しむことでしょ。


なんか親子の心の交流、子育てをする楽しさを奪っている援助者が多くなってないかな。
私は「この子は家庭でみることはできません。この子はずっと福祉です。特別支援による人生こそ、この子の幸せです」といって、たくさんのおうちの子育て、家族の楽しみを奪ってきたギョーカイが許せなくて、医療でも、教育でも、福祉でもない道を作ってきたつもりです。
でも、なんか細分化され、発達障害のここの部分を改善します、みたいな、その子全体、家庭を含めた生活全般をみないで、一部を切り取って援助みたいなのが充満してきて、ほんと残念に思うことばかり。
発達障害は改善したけど、家族が崩壊した、なんて笑えないね。


家族それぞれが、みんなで懸命に生きていく先によりよい成長があり、自立とか、「ああ、気が付けば治ってたね」があるんじゃないかな。
翻訳機みたいな援助者になっちゃダメだね。
「この課題にはこれ」と入力に対してパッと出力するみたいな。




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