2018年7月9日月曜日

楽しむ心が発達の出発点

赤ちゃんは、「ハイハイが上達するように」と思って、ハイハイしているのではありません。
見たいものがあり、触りたいものがあり、行きたい場所があるから、ハイハイをする。
自らの意思と自発性、喜びや興奮に付随してハイハイがあり、その先に発達がある。
そんな風に私は考えています。
ですから、発達援助とは心地良い雰囲気が重要であり、「やらせよう」「もっともっと」「これは良くて、あれはダメ」と思った瞬間、成り立たなくなるものだと思います。


ある親御さんが、特別支援とは「ダメ出しに耐えること」と表現していました。
我が子に発達の遅れがわかったときから、ずっと「ダメだダメだ」と言われ続けてきた、そんな印象しか得られなかった、と。
だから、初めて家族以外の人からダメ出しではなく、希望の言葉が聞けて、本当に嬉しいと涙を流されていました。


私もダメ出しはします。
生活の流れを見て、子どもさんの発達の流れを悪くしているものがあれば、指摘しますし、当然、どこに発達のヌケや遅れ、育っていない部分があるか、将来の問題の根っこが見えれば、そのリスクもはっきりと言葉にします。
だけれども、そのダメ出しを誘導する力に使っていません。


支援者の中には、ダメ出しを自らの支援への誘導に使っている人がいます。
「発達の遅れがある。だから、特別支援学級へ」
「二次障害というのがある。だから、無理はさせずに支援を受けながら生活を」
「就職してもすぐに退職する人ばかり。だから、福祉的就労に」
発達の遅れという事実を恣意的に色付ける支援者の存在があります。


しかし、発達の遅れというのは、何か特別な色があるわけではありません。
発達に遅れがあるのなら、どうすれば発達していくか、発達が取り戻せていくか、そこが重要なのです。
発達の遅れの状態から一歩前に行く、その後押しこそが人を支援するということ。
自分のしたい支援に誘導するのは、ただの勧誘です。


私とのセッションが終わったあと、「楽しかった」「前向きになれた」と感想を言われる親御さんが多くいます。
それは私がどうのこうのではなく、それだけ今までの歩みの中で抑圧されてきた、自らを抑圧してきたという証です。
親御さん達は、特別支援をやってきたのであって、子どもを育てることは行えていなかったのでしょう。


本来、発達とは楽しいことです。
赤ちゃんが楽しいからハイハイするように、大人たちも楽しいから発達を後押しする。
そこにはノウハウも、賞罰も、資格も、経験年数も、支援グッズも、アセスメントシートも、診断名も、入る余地はなく、価値や意味すら持たないのです。
必要なのは、楽しむ心。


気持ちが前向きになれただけで、どんどん発達の後押しができていく親御さんがいます。
「発達が遅れているのなら、ヌケているのなら、そこを育てる」
たったこの一言と出会っただけで、本人は治り始め、親御さんは何をすれば良いかわかるようになる。
それくらい気持ちと雰囲気は大事です。
楽しむ心が持てず、「やらせよう」と義務感で接している子は、成長するかもしれませんが、いつまで経っても発達はしません。
発達の遅れやヌケを残したまま、大きくなっているように感じます。


発達したいなら、発達してほしいなら、赤ちゃんの目になること。
赤ちゃんは、発達しようと思って行動するのではなく、楽しくて、ワクワクするから自ら行動し、結果として発達していく。
この順序、流れを忘れてはなりません。


重苦しい雰囲気の中に発達はありません。
ましてや療育施設など、日常生活から切り離されたような不自然な環境の中で発達が生まれることはありません。
あるのは成長であり、発達ではない。
成長には良い成長と悪い成長がありますが、発達には良い発達、前向きな発達しかないのです。
私たちの役割は、発達にヌケや遅れがある子に、より良く発達してもらえるよう後押しすること。
支援者の扱いやすい人に成長してもらうのを後押しすることではありません。

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