2017年7月28日金曜日

治るかどうかは、努力できるかどうか

治せるかどうかは、電話口の声が、メールの文面が、会ったときの雰囲気が、家の様子が、教えてくれます。
治せる人には主体性があり、苦労を厭わず、コツコツと努力し続けてきた姿を感じます。
本人はもちろんのこと、親御さん自身も、努力する意義を身をもって理解しているか、が治ると治らないの境目だと考えています。


発達とは積み重ねの成果で、治るとは積み重ねていった結果です。
しかも、積み重ねるのは、自分の手、自分の意思で動かし行わなければなりません。
治るか、治らないかを決めるのは、症状の重さでも、年齢でも、支援の量でもなく、努力できるか、できないか、だと思います。


時折、「お金はいくらでも出すので、どうにか治してほしい」というような親御さんからの依頼があります。
こういった発言、雰囲気が出る時点で、もう治せませんね。
ですから、治すのは本人であり、親御さんであること、本人も、親御さんも努力しなければ治らないことを説明し、親御さん自身が変わらないのなら引き受けないようにしています。


また、私がギョーカイや学校、支援者に批判的な意見を述べることが多いからでしょうか、そういった人達がいかにダメだったか、いかにひどかったかを言い続ける親御さんもいます。
このように、我が子がうまく成長できていない現状を、そういった他人のせいにしている人も治せません。
当然、そういった他人が大きな影響を与えている点もあるでしょう。
でも、それだったら、避けることもできますし、別の方法も考えることもできた。
頼る人がいなければ、「自分でしっかり子育てをしていこう!」と思えばよかったのだと思うのです。


私は、ギョーカイや学校、支援者を批判します。
それは、対等な立場だからであり、別に世話になっていないからです。
私のところを利用したいというお客さんを紹介してくれるなら、私も考えますが、「絶対使うな」「使わない方が良い」という宣伝ばかりですからね。
しかし、こういった愚痴をいう親御さん、またお子さんは、たとえ至らなかったといえ、そういった方達からサポートを受け、いろいろ教わってきたには違いがありません。
学校の先生の80%くらいは、子どものため、成長のため、一生懸命な人ばかりです。
ただ方向性を間違えたり、組織という縛りの中で力を発揮できないだけというのもあります。
同じようにギョーカイだって、支援者だって、0.1%くらいは良い人がいるのです。


ですから、愚痴ばかり言う人、他人のせいにする人は、ただ単に努力してこなかった自分を隠しているだけに感じます。
治っている人達が、みんな支援に恵まれ、順風満帆な人生を歩んでこれたから治ったのではありません。
むしろ、どんな困難な状況でも、諦めず、努力し続けた結果、自分自身の手で発達の器を満たし続けてきた結果、治った人ばかりです。


昨日よりも今日の自分、今日よりも明日の自分が、ちょっとでも前進できるように頑張れる人。
こういった子を育てるのが、治り、その子の人生を輝かせることにつながる。
それには、親御さん自身も、努力し続けられないといけませんし、努力の大切さを身をもって我が子に伝えられる人でなければなりません。


家に伺ったとき、構造化に、支援グッズに溢れている様子を目にすれば、この親御さんは努力する人だとわかります。
ただ方向性を間違っていただけですから、きちんと説明すれば、みなさん、すぐにいらないグッズ、支援を捨てていきます。
過去の努力にしがみつかない人も、次の努力ができる人だと思います。


治すことのできる親御さんは、仕事や家事、介護など、すべてではなくても、どこかで頑張っている人が多いのが、私の実感です。

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