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2015年は、結構切りましたね(笑)

日本列島は縦に長いんだと、改めて実感しますね。 雪の降る氷点下の北の大地から、飛行機に乗って90分。 あっという間に、暖かい東京に着きました。 まるで春のような陽気です。 東京で電車に乗っていると、本当にいろいろな人がいるんだな、と感じます。 外国の人も多いですし、個性的な人もたくさんいます。 函館にいたら、かなり視線を集めるだろうな、と思う人も。 東京っていうのは、いろいろな人がごちゃまぜの場所ですね。 でも、それが多様性を持った真の社会の姿だと思います。 2015年も、残すところ、あと6時間ほどになりました。 今年を振り返ると、本当に長かったという感じです。 いろいろな出来事、出会いがありました。 仕事の件数も、500件以上、メールや電話等の相談もいれたら、もっと増えますね。 でも、この数よりも、私の支援がいらなくなった人が多く出たことのほうが嬉しかったです。 自分で成長する方法を掴んだ人。 希望の進学、就職が叶った人。 自立への一歩を踏み出した人。 新たな人生へ歩みだした人。 「大久保さん、もう一人で大丈夫です!」という言葉のために、仕事をやっているようなものです。 たくさんの子供たち、若者たちの成長に立ち会えたことが、何よりの喜びでした。 個人的には、揺らぎがなくなりましたね。 余計なもの、わずらわしいもの、信じられないものは、一気に切り捨てるようにしました。 とにかく自分が信じた道以外は、人でも、ものでも、仕事でも。 仕事が安定しないときには、「なんでもかんでも」でしたが、本人の成長と自立のため以外のことはやめにしようと思ったのです。 本人にも、ご家族にも、ときに支援者にも、厳しい発言をしてきました。 それもすべて未来のために。 「嫌われたらどうしよう」とか、「仕事の依頼がなくなったらどうしよう」などと、今思えば、自分本位のくだらないことだったように感じます。 でも、今までできなかった"切る"を行ったら、私が進むべき道が見えてきた。 私が行うべき支援と役割が見えてきたから、思い切って切れたのかもしれませんね。 「支援者がいらなくなる支援」 これこそが進むべき道だと考えています。 支援者と呼ばれる人間ができることなんて限られています。 その人を一番成長させられるのは、...

脳の声を聴こう

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10月の発達援助イベントに参加してから、脳についてもう一度、勉強し直しています。 そして、 「脳のどの部分に不具合があるのか(鍛える弱み)」 「反対に脳の不具合の部分を補っている部分はどこか(活かす強み)」 「その不具合の部分をどう発達させるのか」 という視点を大事にしながら、以前よりも日頃の仕事を行うようになっています。 ある男の子は、常に自分の視点のみで行動していたため、他人に不利益を与えてしまうことが多々ありました。 そして、当然叱られますが、何故、いけないのかがわからなかったのです。 そこで、他者の視点を想像する脳の部分に不具合があるのだと仮定し、アセスメントを行いました。 でも、他人の視点を想像することができないわけではなかったのです。 つまり、他者の視点を想像する脳の箇所に不具合があるわけではない。 ということは、自分の視点と他者の視点の行き来がうまくいっていない。 自分の視点をもとに想像する脳の箇所に優位性があり、かつ他者の視点をもとに想像する脳の箇所とのつながりが弱い。 定型発達の人なら自然に、意識せず、一瞬で自分の視点と他者の視点を入れ替えられるのですが、そこを敢えてマニュアル的に「自分の視点」「他者の視点」を入れ替える学習をし、情報伝達を意図的に交流させました。 この男の子の場合、情報の交流が脳を発達させると判断したのです。 また、ある女の子は、国語でも、算数でも、文章問題が苦手。 漢字や計算などは、バッチリなのに。 そこで、彼女は文字として、文字のまま捉えているから、文章問題になると勘違いや間違いが多くなるのだと仮説を立てました。 私の見立ては合っていたようで、文章問題も計算問題のようにやっていたのでした。 普通、文章問題を読んでいるとき、頭の中にイメージが湧きますね。 「太郎さんが飴を3個持っていました」とあれば、頭の中に太郎さんと3つの飴のイメージが自然と浮かびます。 でも、その子はそのイメージが浮かんでいませんでした。 ですから、その子の趣味は絵を描くことで、マンガを描くことでしたので、文章問題が出てきたら、絵を描いてから解くようにしました。 私たちが頭の中でやっていることを実際に絵を描くことで行ったのです。 そうすると、あれだけ苦手だった文章問題がきちんとできるようになったのです。 ...

家族の中心は自閉症の子なのか!?

今月、3件のお宅で同じ話が出ました。 これは「ここに書けってことかな」と思い、今年中に書いておきますね。 どんな話かといったら、「家族の中心は自閉症の子なのか!?」ということです。 ある親御さんは、定型発達の兄弟児に時間を割こうとしたら、某支援者から怒られたとのこと。 また、ある親御さんは、「介護や他の家族のこともあるから、この子の支援だけをやっていられない」と言ったら、「だから、お子さんは落ち着かないんです。このままでは犯罪者になりますよ」と批判され、さらに別の親御さんは、「そんなこと、普通の家ではできませんよ」というような環境的にも、労力的にも、現実とはかけ離れたアドバイスをされたとのこと。 まあ、よくあるんですよね。 こういう空想上のアドバイス。 兄弟児がいれば、兄弟児のことだってある。 また、介護もあれば、親御さん自身のこともある。 朝起きれば、学校まで送りだすだけでも一苦労。 そして、家庭のこともやり、仕事もあれば、それも行わなければならない。 自分だって休憩や息抜きをしなければ、壊れてしまう。 学校から帰ってきてからも目まぐるしく時間は過ぎていき、休日は休日で大変なこともある。 そんな家庭での営みの中で、可能な範囲で子育て、支援を行っていくのが、現実的なお話ですね。 「あなたが言うようなアドバイスをそのままやっていたら、誰が他の兄弟の面倒を見るんですか!?誰が買い物に行って、ご飯を作るんですか!?」っていうような支援者の助言。 支援者って、障害者中心の世界で生きているから、机上の空論というか、現実世界とは別の次元で話をしてしまうんですよね。 あなた達の支援の中心は、障害を持った人かもしれないが、家庭にしてみたら、家族の一人。 確かに、他の家族よりも、いろんな面で手が必要かもしれないが、決してその人中心に家族が成り立っているわけではないし、常に中心である必要もない。 ある親御さんは、素晴らしいことを言っていましたよ。 「社会は自閉症中心に成り立っているわけではないので、家庭の中も自閉症中心の世界にしてはいけないと思うんです。この子が勘違いしてしまって、将来、困るのはこの子だから」 こういったしっかりとした考えを持って、子育てされている親御さんは立派だと思います。 本当におっしゃる通りです。 社会は自閉症中...

提示された選択肢は、それがすべてですか?

相談業務の人間が、自分たちに対して ぺこぺこしてくれる 持ち上げてくれる 言うことを聞いてくれる 介入させてくれる(しやすい) 影響力を持たせてくれる(持ちやすい) (第三者から見たら)評価が高くなる というような仲良し入所&就労施設、児童デイ、学校しか勧めなくなったら、もう終わりが近いですね。 まあ、相談業務だってボランティアではありません。 仕事ですし、その仕事を行っているのは、人間です。 だから、感情と利害関係が左右させるのもわからなくはない。 仲良し関係の方が、何かと有利に動きやすいでしょう。 これは、どの仕事、業界でも、同じこと。 でも、何だか福祉の相談業務って、性善説でみんな動いているように思っちゃっている人が多いんですよね。 より良い選択ができるように相談に行っているのに、そもそもの選択肢に偏りがある。 これって、ちょっと想像力を働かせればわかること。 「大久保さん、なんで〇〇ばかり勧めてくるんだと思いますか?」 などという疑問を持たれる当事者の方、保護者の方が多いんですよね。 まあ、尋ねられたら、きちんと情報提供はしますが。 ほら、だって、本人は「今の給料では生活ができない」「もっと働きたい」と訴えているのに、作業所から一般就労させることを止めたり、障害者枠から離れて就職活動をすることを止めたりすることってありますよね。 進学先を変えたら、怒られた、「もう支援しない」と言われたなんて、良くあること。 でも、ちょっと考えてみたら、今の日本で(江戸時代とか、他の国なら分かりませんが)、自由に就職先が決めらないのは、おかしくないですか!? 進学先だって、普通、本人主体で、そして家族で決めませんか!? 「希望しても、難しい」と言うなら、わかりますよ。 「こういったメリット、デメリットが考えられる」と言うなら、わかりますよ。 きちんと"根拠"を挙げて。 それが仕事ですから。 しかし、ただ「ダメだ」とか、脅しのようなことを言うのはおかしいですよね。 本人や家族が選択した結果、失敗しようが、うまくいこうがそれは別の話であって、そもそも選択すらさせない、個人的な選択に他人が首を突っ込むのはあり得ないこと。 「じゃあ、あんたは責任が取れるのか」 「じゃあ、あんたは霊能力者か」 ...

やりません宣言は、やれません宣言

「私は子どもの支援(教育)しかしない」 などと、意味不明な宣言をする人がいるんですよね~。 大学にもたくさんいましたよ。 「成人!?ムリムリムリ。やっぱりかわいいから子どもの方がいい」 というような学生も。 まあ、教育大学なので、子どもが好きな人が多いでしょうし、子どもを育てる仕事がしたいから、進学したんでしょうし。 施設で働いていたときも、「絶対、子ども」という配属希望の人も多かったですね。 中には「絶対、成人」という人もいましたけど。 いやぁ、別に希望することを否定しているわけじゃないんですよ。 そりゃあ、子どもの支援(教育)がしたい人もいれば、成人の支援(教育)をしたい人もますよね。 それは当然のこと。 でも、それって、どちらも経験して言っているのかな、という疑問があるんです。 ちょっと見たり、聞いたりしただけで、やりません宣言は、や"れ"ません宣言にも聞こえるんですね。 特に、すでに支援者として、教育者として働いている人間に対しては。 私は施設で働いていたとき、子どもも、成人も、支援させてもらいましたが、やっぱり子どもの方がぐんぐん成長しますし、問題行動があったとしても治しやすいですし、身辺面の手助けも負担が少ないですよ。 成人の人たちの問題行動は結構しんどいですし、身辺面だって…。 でも、どちらも経験したから、見えてくるものがあるんですよ。 子どもも、成人も、独立して存在しているわけではないですから。 人はつながっています。 今、目の前にいる人にも、過去と未来がある。 子どもだって、いずれは成人するのですから。 というか、成人後の豊かな生活、人生のための支援、教育であり、社会の一端を担えるような人材に育てていくのが、役割だと思うんですけどね。 その人の成長をどうサポートしていくのか、でしょ。 「生涯に渡る支援」は、成長の支援のはず。 何だか、離職者が多いみたいで、相談業務に現場経験のないスタッフが増えてますよね。 新人を育てることは悪いことではないですけれど、卒業後、すぐに相談業務っていうのはね・・・。 相談されても何も答えられないでしょうし、家族の方が経験が多いでしょ。 せめて現場で働いてから、相談業務にあたってほしいですよね。 結局、現場経験のない相談畑の人間が、いらな...

問題行動は治すべき対象です!

不自由さのない大久保です。 好き勝手に発言できていますから(笑) 変なギョーカイやバックが側にいないということは、すべて自己責任という大変さもありますが、身軽さもありますね。 まあ、問題発言をしているつもりはありませんがね。 問題と言えば、今年も問題行動をメインにした依頼が多くありました。 だいたい支援者会議でも、メインは問題行動です。 問題行動がなければ、わざわざ会議まで開きませんよね。 親御さんとお話ししていても、ときに支援者と話をしていても、違和感を感じることが多いです。 それは、問題行動と障害特性の曖昧さ。 問題行動への取り組みの際、出てくる氷山モデルが混乱させているのかもしれませんね。 確かに問題行動の根底には、障害特性が関係する部分があります。 でも、だからと言って、問題行動=障害特性ではありません。 問題行動は、問題行動です。 障害特性ではありません。 ですから、見逃しも、許容も、ないのです。 あるのは、周囲への悪影響と、その人の責任、あとは改善、消去という選択肢のみです。 問題行動は、障害特性だと誤って解釈しているのか、それとも問題行動はどうにもならないと思っているのか、それはわかりませんが、結構勘違いしている人が多いですね。 足の不自由な人が杖を振り回して、他人をケガさせたら、それは問題行動だと捉えますよね。 足が不自由なのは、障害かもしれませんが、暴力を振るうのは別問題です。 同じように、目が不自由な人が暴言を吐いたら、咎められて当然のこと。 もし支援を受けていたら、どうにかそういった行動を止めさせるはずです。 でも、発達障害の人が暴力を振るったり、ネット上で悪口を書き込んだりしても、御咎めなしなのはおかしなこと。 社会性の違いや、適切に想像することの苦手さという特性が関係しているかもしれませんが、だからといって問題として扱われないのはおかしいですね。 ましてや支援する立場の人間が、見て見ぬふりというのは、職責放棄としか言えません。 支援者と呼ばれる者なら、全力で問題行動を治さなければなりません。 そして治すために、氷山モデルの水面下の部分、つまり特性と関わる部分へのアプローチを行うのです。 あれは、問題行動=障害特性ということを表しているではなく、水面下の部分へのアプローチが結果と...

自分の持っているもので勝負!

「組み立てが必要なおもちゃは、一人でできるようになってからのプレゼントにして下さい」と、心の中でサンタさんにお願いした今朝(涙) 5時からおもちゃを組み立てたので、いつもより濃いコーヒーを飲んで仕事してました(笑) 息子が朝早くから起き、目を輝かせて遊ぶ様子を見ていて、子どもにとっては特別なイベントなのだと思いますね。 クリスマスが終われば、一気に街は新年モードに変わりますね。 学校も冬休みが始まり、「休み期間中に、集中して〇〇に取り組んでほしい」というような依頼もきているので、年末を感じます。 雪がないので、変な感じがしますが、今年も残り一週間ですね。 今年もギリギリまで予約が入っていますので、仕事納めはまだですが、振り返れば、長い一年だったように感じます。 年をとれば、新しいことが少なくなるので、単調な生活になりやすい。 そうすると、時間っていうのは、早く感じるそうです。 子どものときの一年と、大人になっての一年は、時間の感覚に違いがありますよね。 私も、大人になってから時間が早く感じていて、毎年、「えっ、もう年末!?」って思っていたのですけれど、今年は特に長く感じました。 事業を始めた当初は、あまり仕事がなかったので、早く感じていましたが、今年はおかげさまで仕事も多くいただき、バラエティーに富んだ依頼や相談が多かったため、単調さがあまりなかったからでしょうね。 私はコツコツ数を積み重ねていくのも好きなのですが、それよりも新規性、不規則性がある方が好きです。 決められた場所に行って、決められた仕事をするのも、過去にやっていたので、できなくはないと思いますが、やっぱり「今日、何が起こるか分からない」「自分で予定を決めて進んでいく」というような仕事の方が、私の性分、資質には合っているようです。 まあ、家族に合っているとは言えませんが(笑) 掘り下げれば、自分で決められないのが嫌で、自分の手の中に選択肢があるのが、心身の健康と、自分を成長させるには合っているように思います。 ですから、仕事をすればするほど、元気になっていき、またアイディアも溢れてくるような気がします。 このように自分の性分、資質に合った生活を送ることが大事なのかもしれません。 今年も多くの方たちとお会いしましたが、調子が悪い人は、ご自身の性分、資質に合ってい...