【No.1300】上下関係では治っていけない

我が子のどこに発達のヌケがあるか、それを確認することは大事なことです。
でも、もっと大事なのは「どうして発達のヌケが生じたか?」
そしてさらに大事なのは「どうして発達のヌケが育たず、抜けたままなのか?」なのです。


勘違いされている人が多いようですが、発達障害児と言われる子ども達だけが、発達のヌケや遅れ、凸凹を持っているわけではありません。
一人ひとり特有の発達パターンを持っていますし、何ならヌケや遅れを持っているのは、みんな同じでなのです。
基本的なヒトの発達パターン、順序はありますが、いつ、どの時点で、どのような強弱の発達を遂げるか、はとても個別的で唯一無二のもの。


言葉が出ない、ハイハイを飛ばした、友達と遊べない。
それ自体が問題かのように扱われます。
しかし、本当の問題は言葉が出ないまま育っていかない状況なのです。
少しずつでも育っていけるのなら、同年代とは異なった時期に育ちきるなら、問題ではなく、その子固有の発達パターンがそうだったというだけ。


「愛着障害」についても、私はわかりやすいため、その言葉を使うのですが、そんな診断名はありませんし、決まった定義があるわけでもありません。
ただ愛着障害とは、人との関係性の中に生じた発達のヌケであり、歪みだったり、うまく他人との関係性を結べない状態だったりを指しているといえます。
ですから、まさに愛着障害とは、愛着障害者がいるわけではなく、愛着障害自体が問題なわけではなく、愛着形成が進んでいかない状況が問題だといえるのです。


「発達障害を治す」というと、どうしてもイメージで言えば、その本人自体をまず変えようという想いが湧いてきます。
発達相談でお会いしてきたご家族の中にも、発達の遅れのある我が子を変えよう、変えようと励まれている姿があります。
しかし、こういったご家庭は往々にして治っていかない。
さらに愛着障害を深くする傾向があります。
発達のヌケは育てなおしができたけれども、治り切ったという感じがない状態です。


これは夫婦関係でたとえると分かりやすいと思います。
発達相談においても、ご両親が同席されることがほとんどなのですが、必ずしも子育ての方向性が同じだということはありません。
障害の捉え方にしろ、療育や支援に対する考え方にしろ、発達障害を治すことにしろ。
様々な面で違いがあるほうが自然だと言えます。
この違いをお互いが認めあっている状態なら良いのですが、時々、習ってきたこと、知ったことを相手にそのまま要求している方がいらっしゃいます。


「発達障害は治るんだって」「治すのがこの子にとって一番のこと」「治さなきゃいけないんだよ」
そのようにパートナーに対して一方的な価値観をぶつけるのは、相手も気分がよくないですし、何よりもそういったことをしてしまうこと自体、愛着の問題、つまり関係性を築くことに関する問題があるといえるのです。
「治る」という意見、情報をそのまま信じ、相手にも要求するということは、たとえそれが「治る」という素晴らしいことだったとしても、発信者に対する依存です。
またその発信者と同化し、自分が正しいありきになってしまっています。
自分が正しいと思ってしまうと、変える対象が自分の"外"になってしまうのです。


うちの夫は発達障害に対して、治すに対して、身体アプローチに対して、「理解がない」とおっしゃる方もいます。
しかし、旦那さんのお話を伺うと、自分自身が理解に至る前に決め付けられていることに引っかかりを持っていることが多くあります。
言葉での説得は、上下関係がなければ成立しません。
夫婦に上下関係があるのでしょうか。
となれば、やはりまずはご自身が変わることが必要なんだと感じます。
適切な人間関係とは、それこそ愛着形成が整った関係性の中では、その人が変わっていく姿を見て、それにつられるようにして、もっといえば、同調が生じ、自然と変わっていくのです。


たとえ幼い子どもさんであっても、知的障害を持つ人であっても、他人から「変わりなさい」と要求されることは、その雰囲気が伝わってくることは、その子自身否定されたように受け取ります。
先ほど言った通り、一方的に変わることを求められる関係性は、上下関係においてです。
ですから、親御さんが頑張って治そうとすればするほど、治っていかないし、愛着の問題が深くなる。
ヒトの発達の大事な条件は、本人が内側で心地良さを感じられていること。
別の言い方をすれば、安心感があることになります。
そして何よりも育つ子本人の主体性が必要なのです。
上下関係には心地良さも、安心感も、主体性も生まれません。
だから治っていかないし、治ったとしても治り切るまで歩み続けられないのです。


しつけや物事の道理などは、親御さんが子どもさんに対して教えを授けることも大事です。
しかし土台であるヒトの発達においては、「教える」や「やってあげる」ではなく、本人の主体性と心地良さ、安心感が発揮できるような環境を作っていくことだと思っています。
それにはよりよく育つための環境の一つとして、親御さん自身が変わっていくことが必要になります。
ある意味、育っていけない環境の一つでもありますので。


即効性のある効果を求めたくなるから、相手に変わることを強く要求してしまう。
でも実際、一日や二日で変わるわけはありません。
短期間で治るのなら、そもそも発達障害で悩んでいないのですから。
身体アプローチも、栄養療法も、まずは自分がやってみる。
そして少しずつ変わっていける中で、その姿を見て波長を感じた子どもさんが「あれ?」と思いだす、旦那さんも。
そこから我が子に身体アプローチを勧めてみる、一緒にやろうと導いていく。
そこから旦那に「こんな本があるのよ」「こうやって治っていった家族がいるのよ」と誘ってみる。
治っていくご家庭を拝見しますと、子どもだけではなく、家族みんなが変わっていく姿があります。
誰かだけ蚊帳の外の場合、どうしても次の世代に課題が持ち越しになっているような気がしています。




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