2020年8月28日金曜日

【No.1095】生き抜くための自立、社会の中で生きるための自立

当事者会や親の会に、居場所や情報を求めて来ている人たちが大部分だといえます。
しかし中には、役割を求めて来ている人たちもいるように感じます。
できるかできないかは別として、代表や広報、会計などを引き受けた人というのは、なんだか活き活きとしている。
そんな姿を見て、これも代償行動であり、自己治療なんだと思います。


今はほとんど依頼はありませんが、ひきこもりの人達の相談を受けていた時期があります。
家庭に伺うと、みなさん、必ずこう言います。
「衣食住、すべて息子(娘)のためにやってあげている。本人の生活は満たされているはずなのに…」
この認識が大きな間違いと言うか、本人とのズレなんですね。


物理的な生活を満たすことは、親御さんにとって大事な役割でもあります。
でも、それは子ども時代という期間限定の話。
そこだけ満たされていたら「私、満足」というのは、幼い子であって、幼稚園や保育園に入る頃には、頼まれたことを行う、自分以外の人のために何かを行う、お母さんの真似をして家のことをやってみる、といった行動を通して内面的な満足を得ようとするものです。
そういった体験の積み重ねが、家族の中の自分、幼稚園の中での自分、学校の中、地域の中、そして社会の中の自分という実感を育てていきます。
子ども時代のお手伝いは、社会に出る準備なんですね。


ひきこもりの人とお話をすると、発達の偏りを持っていると感じることも多くあります。
でも、そこが根っこではありません。
彼らからひしひしと伝わってくるのは、「生きている実感がない」という訴えです。
「確かに親から援助を受け、不自由なく生活できているけれども、生きづらい」
その"生きづらい"という彼らの言葉に、どうしても発達障害という言葉をくっつけたくなる。
しかし、彼らは発達障害である以前に、ヒトです。
それも社会的な動物としてのヒト。
親御さんの中には、「親意外に話す人がいないのが良くないのかも」「友達がいないのが…」などと言われる人もいますが、それもまた根っこではありません。
親御さんは知らなくても、彼らにはSNSの世界でつながっている人たちがいるからです。


生きている実感の根っこは、前庭覚であり、固有受容覚。
つまり、重力との付き合い方ができることが、生きている実感の始まりになるのです。
その一方で、社会的な役割という部分も、生きている実感に大きな影響を与えます。
長年、ひきこもりをしている人で、このどちらにも課題がある人がいました。
ですから、まずは役割の部分で提案しました。
「今できる動き、身体のパワーで、家のことをやってみましょう」
内容は子どものお手伝いみたいなものではありましたが、毎日、続けていく中で、少しずつ変わっていきました。
そんな彼がある日私に、「親も年をとってきたから、自分が頑張らないといけない」と言ったのです。
彼の言葉に、生きている実感を得た喜びを私は感じました。


こういった仕事をしていますと、神経の発達に注目が集まっている昨今ですと、あまりこういった内面の発達について訊かれることがありません。
もちろん、すべてのベースである身体、神経の発達があっての愛着であり、内面の発達ではありますが、発達相談では神経発達のアセスメントと同じくらい、愛着、内面の発達についても私は注目しています。
どんな簡単なことであっても、大人がやった方が何百倍も早いことであっても、お手伝いをしている、役割がある、ということは将来の自立にとって重要だといえるのです。


神経発達、身体の育ちは、動物としてのヒトの自立へとつながります。
一方でヒトは、社会的な動物でもありますので、社会生活を営むという意味での自立もあります。
生き抜くための自立と社会の中で生きるための自立。
その両輪がグルグル回るようになって、自分の人生を「ああ、今日も私は生きている」と感じながら進むことができる。
物理的な生活が満たされても満足感を得られないのは、動物の中において私達ホモサピエンスだけだといえるでしょう。
いわゆる社会性とは、神経発達を通って、家庭でのお手伝いに芽を出すのです。




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