2017年4月28日金曜日

子どもが変わるには、親が変わる必要がある

自分のお子さんが、構造化された支援を受ける、またはその支援グッズを使っているだけで、我が子の能力が高い、という錯覚をおこしている親御さんは少なくありません。
構造化されることによって学ぶ態勢が整い、結果として学習できる→成長ということはありますが、構造化自体に成長や発達を促す効果はありませんね。
構造化しても、学ばなければ、ただ「分かりやすくなった」でストップです。


数年前、上記のような親御さんからの相談がありました。
私は、「子どもが変わるには、親御さんが変わる必要がある」と考えていますので、構造化された支援を受けているからって成長するわけでも、能力が高いわけでもない説明をしました。
そして、親御さんが見ているお子さんと、実際のお子さんのギャップについて、あらゆる方法を使って伝えました。


依頼された「〇〇ができるようになってほしい」ということに関して、数ヶ月で達成、クリアしました。
もちろん、学校や家庭で使われていた構造化された支援は用いていません。
それは、その子の認知からいって理解できていませんでしたし、問題の根本は理解できていないことではなく、学べる段階まで至っていないことが大きな要因でした。
まずはこちらを解決、育てないといけませんでしたので、一見するとターゲットの行動とは遠いようなことをしながら支援を続けました。


その間、親御さんからは構造化された支援を用いないことに対する不満、思い描いている我が子の姿と私が指摘する子の姿のギャップに対する否定、そして結果として、何年も身につかなかったことができるようになってしまったことに対する戸惑いの感情が、にじみ出ていました。
依頼されたことが達成されましたので、私の支援は修了です。
数か月間の取り組みの報告書と、今後、こういった点に目を向け、発達のヌケを埋めていけば、成長できる可能性が高いことを示した資料をお渡ししました。
親御さんが気づき、変わってもらうことを願って。


先日、偶然、その子を担任している先生とお話しする機会がありました。
結果として、端的に言えば、親御さんは変わりませんでした。
今でも、構造化された支援が一番の方法であり、それのみで支援しているそうです。
先生の話からは、数年前の姿と変わっていないその子の姿が見え、残念な思いとともに、私の力量不足を感じました。
せっかく成長の糸口を掴んだのに、それが放たれてしまいました。


支援者というのは、生活の、人生のひと時を接するだけに過ぎません。
特に子どもというのは、多くの時間を過ごし、過ごしてきた親御さんの影響をもろに受けます。
発達に凸凹があるのが発達障害の子どもたちなのですから、その凸凹を埋めるための機会と育てなおしがなければ、凸凹は大きくなるばかり。
親御さんの覚悟と選択が、子どもの生活、人生を左右する場合もあります。


当然、親御さんの中にも、本能や身体が賢い人、センスがある人がいます。
その一方で、そうではない人は勉強したり、支援者の手を借りる必要がありますし、そのための努力をする必要があります。
伸び悩んでいる、課題や問題を抱えている子というのは、親御さん自体が変わる必要がある人だといえます。
ですから、子どもが変わるために、親御さんに変わってもらうための促しを行うのも、発達援助であり、大事な仕事だと考えています。


子どもが変わるには、親が変わる必要がありますね。
ギョーカイ系支援者が、相談に来る親御さんに対して、「お母さんは、とっても頑張っていますね」「素晴らしい支援ですよ」「おうちで、ここまでの支援している人はいないですよ」という営業トークを展開するのを見聞きして、ウンザリしています。
言うほど、素晴らしい支援をしているのなら、そもそも相談に来ないし、支援者を頼りません。
変わる必要がある親御さんに対して褒めちぎるのは、百害あって一利なしです。
ますます支援が、明後日の方向へと行ってしまう。


結局、褒められて気持ち良くなる親御さんと、褒めることでリピーターを作るギョーカイしか、良くなっていません。
子どもさんが、発達し、成長し、良い方向へと進んでいくためにも、「お母さん、変わる必要があります。今までの支援は誤っています」ときちんとダメ出しできることが必要ですし、例え仕事がなくなったとしても、私はそのことを伝え、言い続けようと思っています。

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