私が新社会人だった頃の思い出話

入社式のニュースを見て、「若いな~」と思った今朝。
こういう風に思った時点で、自分が年を取ったことに気が付きます。
私も12年前は、新社会人。
まあ、3月から"研修"ということで働いてはいましたけれど。


大学の卒業式の日だけは休みを貰い(?)、参加。
周りはキラキラしていたけれど、すでにいろいろ目にしていた私にとっては、4月から先生になる仲間が別世界の人達に見えました。
でも、教師を目指して入学した大学。
今日晴れて卒業し、4月から教師になる同期たちから見れば、「お前の方が別世界の人間だぞ」と思われていたことでしょう。


別世界の人間と見ていたのは、同期たちだけではありませんでしたね。
学生時代、現役の学校の先生たちと関わることが多かったので、卒業前にあいさつに行くと、当然進路を訊かれます。
「小学校に行くの?特学?それとも養護学校?赴任地は?」
それに対し「先生にはなりません。施設職員になります、しかも入所施設」と言うと、だいたいの方が絶句。
施設名を言うと、「大丈夫なの?」と心配される始末。
同じ系列の施設の中でも、飛び抜けて大変&同じ法人の職員からも「あそこだけは行きたくない」という施設でしたから。


目的と覚悟を持って赴任希望を出した施設だったので、私はこのようなリアクションがきてもなんとも思いませんでしたが、「"あんなところ"は止めた方が良い」と言われた時には、仏の私もさすがにカチンときましたね。
それは私の進路が否定されたからではありませんよ。
それを言った先生は、「あんなところ」と言った施設に、学校の子ども達を入所させていたからです。
「"あんなところ"という場所に、何人、子ども達を入所させたんだ。自分たちが対応できなくなったからって、親御さんにプレッシャーを掛けて。"あんなところ"と思うのなら、しっかり教育しろよ」


卒業後、特別支援の教師となった友人に、このときの話をすると、学校内には施設を下に見る空気がある、と教えてくれました。
まあ、これは働ていて、私自身もヒシヒシと感じることでしたので、怒りの感情は湧いてきませんでしたが、これじゃあ、「教育と福祉の連携、協働」なんてムリムリと思いましたね。
学校の中には、福祉職員のことを「教員免許がなくてできる仕事」「高卒でできる仕事」と思う人がいる。
一方で、福祉職員も(私が現場で思っていたこと)、「日頃は下に見ているくせに、自分たちでどうしようもなくなったら、あとは福祉で」と無責任に、他人の人生を投げてしまう人達と思っていました。


あるとき、幹部の人と話す機会があって、同じように上記の話をすると、「小学校から高校まで12年間も、人も、金も、普通校の子どもたちよりも多く使って教育して、結局、問題行動が治らない、施設しか行き場所がない、なんて馬鹿げた話だろ、大久保君。アメリカだったら、そんな学校は訴えられるぞ」と言っていました。
今、思いだしながら文章を書いていますが、こういう人がまだ施設にいた頃は、施設の中にも本人の視点があった、と思いますね。
本人の視点がなくなったから、支援者、経営者のための施設、福祉になった・・・。
ああ、横道に逸れちゃいましたね。


思いつくままに文章を書いてしまい、まとまりの無いものになってしまいましたが、新社会人を見て、「若い」と思った時点で、自分もおじさんの仲間入りだということと、今はどうか分かりませんが、学校の中には福祉を下に見る人もいる。
一方で、福祉の方も、「俺たちよりも、人も、金も、職員の権利も、有休も、自由もある学校なんだから、しっかりやってくれよ、可能な子は福祉が必要ない子に育てろよ、福祉以外の選択肢を作れよ」と思うことがある。
そして、12年前、私に「あんなところ」と言った先生は、今では立派な管理職になられている。
まあ、生徒のことを威圧して言うことをきかせていた先生も、晴れて管理職試験に合格されたということが新聞紙上で分かり、さすが見る目があるね、道教委さまってことが言いたかったんですね、今日は(笑)

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