2016年12月2日金曜日

支援者ってキモチワルイ仕事だなぁ~

支援者って、つくづくキモチワルイ仕事だと思います。
だって、親でなければ子でもない、親戚でなければ友達でもない赤の他人が、「支援」の名のもとに他人の生活の中に入りこんでいくのですから。


私が支援を受けるんだったら、「ほっといてくれよ」「なんで、あんたに相談しなきゃならないんだよ」「どうして、私が困っている前提なんだよ」って思うはずです。
もし自分から望んで支援を受けたとしても、相談することの恥ずかしさ、嫌悪感はあるはずで、できれば早く課題を解決して「この人とオサラバしたい」と思うでしょう。
決して「ずっと支援を受け続けたい」とは思いません。


「生涯に渡る支援」という言葉を耳にすると、これは当事者の口から出た言葉ではないと思うのです。
できれば、「支援を受けずに、自らの足で歩きたい」と思うのが、自然な感情だと思います。
それは重い知的障害、行動障害を持った人達と接しても、「決して望んで支援を受け続けたいんじゃない」という想いは伝わってきます。


じゃあ、この「生涯に渡る支援」は、誰の言葉なのか?
それは、(大部分の)支援者の言葉であり、(一部の)親の言葉であるのだと思います。
支援者は、支援し続けることで、仕事も、立場も、充足感も、得られることができます。
また、親は「生涯に渡る支援」という言葉があるおかげで、自分の負い目、自分の子育てから目を背けることができます。
厳しいことを書くようですが、「生涯に渡る支援」という言葉は、そんな両者が生みだし、好んで使ってきた言葉だと思っています。


でも、この「生涯に渡る支援」という言葉は消えていくはずです。
たとえ消えなくても、使う人は少なくなるはずです。
何故なら、支援者の手を借りずに、また借りたとしても、そこから自立し、社会へと羽ばたいていった人達がたくさん出てきたのですから。
そんな姿を見て、自分の本心に蓋をしなくて良いことに気が付いた当事者の人達は、これから自立への想いを益々強くしていくでしょう。
また障害の程度に関わらず、「我が子には自分のことは自分でできるようになってほしい」「できれば他人の手を借りずに自らの足で歩んでほしい」と願う自然な想いに、親御さん達も突き進んでいくでしょう。
そういった想いがある人からは、出なくなる言葉です。


「生涯に渡る支援」という言葉は、支援者を選ぶ上でキーワードになります。
自立させる支援者と、自立させない支援者。
当事者側に立った支援者と、支援者側に立った支援者。
腕で勝負している支援者と、口で勝負している支援者。


「生涯に渡る支援」という言葉には隠れている文字があって、それは「生涯に渡る支援(がしたいよ)」という部分。
「生涯に渡る支援がしたいよ」という支援者に、大事な我が子を預けたいと思いますか?
というか、我が子がそれを望んでいると思いますか?
それくらい信頼できる人間なのですか、支援者という肩書がなくても。
街で会えば、大半がただのオジサン、オバサンです(ブ)


支援者は、キモチワルイ仕事だという自覚がないといけないと思います。
そういった自覚がないから、ズケズケと土足でひと様の心の中に入ろうとする。
そういった自覚がないから、いつまでも支援者と当事者の関係を続けようとする。
動物界に協力する者はいても、支援する者はいない。
だから、支援者とは不自然な存在であり、人工的な存在。
だからね、できるだけ短い期間、人生の一時だけで良いんです、関わるのは。
「生涯に渡る支援」という言葉は、不自然なのです、当事者の内側から湧き出た自然な言葉ではないのです。

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