2015年11月17日火曜日

知識を与えられれば、できるようになるわけではない

自分で「忙しい」と言っちゃうのは、恰好が悪いと思っているので言わないけれど、最近というか、11月に入って1日中、動き回っていることが続いています。
だから、ブログもゆっくり書けない。
このブログも書いていたら、電話が鳴っています(本日、3度目)。
だから、最近では余計に、私の支援から卒業してもらうこと、自立してもらうことに意識が向いていますね。
ちなみに今月だけで、3名の方が卒業されました!
私を踏み台にして羽ばたいていただければ、大いに結構なことです!!

私は言いたいことがあったら、すぐに吐き出したいタイプなので、便秘状態。
ネタは貯まるけど、表出できずにモヤっとした感じです。
こうして考えると、いつの間にか、自分の健康のためにブログを書いていたのが分かります。
健康と言えば、ランニングはまだ続いていますよ。

まあ、どうでもいい文章はこれくらいにして、最近、ビックリしたのが、「知識の量=できる量」だと思っている人が案外多いということ。
「知識が増えれば、できることが増える」
「できることが増えるように、知識をたくさん与えよう」
というような考えで支援している人たちがいる。
でもね。
知っているからって、できるようになる方たちではなかったっけ。
知識を実際の場面に応用させることが苦手だと思うんですけどね。

本人がなかなかできずにいると
「教え方が悪かったのでは」
「視覚的な手立ての作り方がまずかったのでは」
と思われる方がいます。
もちろん、教え方や手だての問題もあります。
でも、できない理由はそれだけではありません。

知識はあるけど、実際の場面でどうやったら良いかわからなくてできない場合もあります。
つまり応用、般化の問題。
他にも、実際の場面では環境からくる刺激に圧倒されてしまってできない。
体調が悪くてできない。
そのとき、求められていることがわからなくてできない。
知識以外の面で、発達していない部分があり、実行できる準備ができていない。
そもそも「やりたくない」というのもあります。

「知識があれば、できる」というのは、定型発達の人の視点ですね。
自分たちがそうだから。
「刺激に圧倒されてできない」「脳みそが疲れてるからできない」とかあまりないですし。
でも、定型発達の人は、身体面での発達も、対人面での発達も、"定型"で発達している一方、自閉症の人は、発達のアンバランスさを持っています。
ですから、「このくらいの年齢なら、これくらいのことは知りさえすればできるだろう」というものに関しても、認知の面ではOKでも、身体面でまだ発達していなかったりすることもあります。
そうしたら、当然できません。

また知識に関しても、文字を読んで理解することができても、概念がわからなかったり、国語はバッチリでも、数学的な面では苦手さがあったりすると、できません。
そして、情報の切り取り方、受け取り方、捉え方の違いもありますので、やっぱり知識と実技、実際の場面を結び付ける過程に課題があったりしますと、これまたできなくなります。

できない理由を、定型発達の視点の範囲内で考えていたら、答えが見つからないことが多々あります。
知識や手だてなど、支援する方も頭ばかりを使っていてはいけませんね。
特に、知的障害も併せて持っている方に対して、苦手な知的な面でのアプローチばかり行っていては、理解も難しかったり、理解するだけで疲れちゃったりしますね。
文字を読むことはできるけれど、それにかなりのパワーがいる子に対して、ずっと文字を書いて教えていた、という支援者がいましたが、う~んって感じです。

知的な面からだけの原因追求と、アプローチは、どちらも「粗い」と言わざるを得ません。
もっと広い視野で、丁寧に目の前にいる人のことを見て欲しいな、と思います。

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