【No.1378 】「誤診」と「過剰診断」が発達障害のおける一番の問題だけれども

夏休み前にストックしていたYouTubeの動画がなくなったので、「今日は久しぶりに動画を撮ろう」と思っていたら、朝から息子たちが家にいる。
本当は今日から始業式で2学期が始まりだったけれども、先に始まっていた道内の小学生が体育の授業後に熱中症で倒れてお亡くなりになる痛ましい出来事があり、すぐに市の教育委員会が「市内全部休校」と通知。
プールをやめるのも早いし、学校を休校にするのも早い。
私がマスクの件を伝えたときも、対応が早かったから、とっても仕事ができる人か、とにかく自己保身が強い人かな。


こういった事故が起きると、とにかくすぐに「全部やめにします」ってどうなんだろうと、いつも思います。
今回、お亡くなりになった児童さんも、個人的な要因としてはどうだったのか。
持病を持っている子かもしれないし、マスクをしていたかもしれない。
朝食をきちんと食べてこなかったかもしれないし、もともと体調がすぐれていなかったかもしれない。
ちゃんと汗がかける子だったのかな?
そういったところまでしっかり確認しないと、つまり、個人的な要因と環境的な要因とをしっかり比べないと、それによってほかの全員が影響を受けることのデメリットもあるんじゃないかな。
休校になれば、学習の機会は減るし、きっと体育をやらなかったり、内容も変わったりする。
そしてすでに小学校の出来事なのに、中学、高校と部活動が禁止になっちゃった。
管理するほうからすれば「一律中止」「とにかく安全パイに」で良いかもしれないけれど、今この瞬間を生きる子ども達からしたら失うもののほうが多いこともあるでしょう。
まあ、散々3年間、子ども達を犠牲にしてきた人たちだから気にも留めていないかもしれないけどね。


昭和のおじさんからすれば、「心配しすぎ」「子どもはもっとたくましいもの」「むしろ、この暑さにも慣れないと、今後の日本で生きていけないでしょ」と思ってしまう。
だって自分が小学生のとき、暑い日も外で一日遊んでいたから。
暑いから学校休校なんてなかったし。
だけれども、そういった声は少数派で、ほとんどは「こんなに暑い中で体育をやらせた学校が悪い」「うちの子はやらせない」。
環境に合わせて人間を弱くして大丈夫?
大人の不安、怖がりはつくづく子どもの発達を妨げると実感しますね。


以前から言っているように、日本の発達障害の問題は「誤診」と「過剰診断」です。
児童精神科医の数とか、支援の質とか、社会の理解とか、そんなんじゃない。
ただ単に現時点で発達が遅れている子、標準より外れている子、たまたまそう見えた子がみんな、発達障害にされている現状がある。
確かに遺伝子や器質的な問題から治らない子もいるでしょう。
でもそんな子はごくわずか。
なんでそんなことがいえるのかといえば、私の発達相談の経験からと、米国で当時のトップに訊いたから。
私「米国では95%の自閉症者が地域で自立した生活を送っていると報告されていますが、残りの5%の人たちはどうしているのでしょうか?」
教授「それは良い質問です。端的にいえば、生涯入所施設で過ごします」
その理由も説明がありましたが、改善の可能性の有無と支援(コスト)のバランス、器質的に回復は不可能だろうという判断などをおっしゃっていました。


つまり、自閉症という診断を受けた人の95%は改善可能で、5%は困難だということ。
じゃあ、それから20年くらいが経ち、いま、精神科医がやりたい放題で診断をつけている現状から考察すれば、少なくとも同じくらいのパーセンテージで治る人、改善する人がいるってことでしょ。
しかも「発達障害」などという診断名ともいえないようなインチキレッテルが横行している現代では。
本来なら「いま、診断がつきましたが、95%くらいの子ども達は改善可能ですし、成長とともに診断基準から外れ、自立していくんですよ」と言わなければならない。
でも利権のためには「生涯の支援が必要です」とだけ伝える。


売りたいものが先にあり、そこにニーズを作っていくのはマーケティングの基本です。
売りたい注射があるから病気を作る、不安を煽る。
余った薬があるから、新しい診断名を作る、診断基準を弛める。
サービス業や製品の分野でOKで、医療や福祉の分野じゃ「やっちゃいけない」「やるわけない」というのはお花畑に住む人々の思考。
これだけグローバル化が進んでいる中で、また歴史を振り返れば、そんなのが通用する人が少数派なのはわかります。
なので、だいじなのは「騙されない」という受け手側の姿勢です。


命を分けて、誰よりも尊い我が子なのに、初めて我が子に合った事象専門家に「あなたの子は自閉症です」「知的障害があります」「生涯治りません」と言われて、「はい、そうですか」と思ってしまう。
「いや、あなたの見立てが間違っているんでしょ」と疑ったり、別の道、方法を探したりしようとするのが自然な親心だと思うんです、私は。
だけれども、みんな、「専門家が言ったから」と思考停止してしまう。
まるで「先生が廊下は知っちゃいけないって言ってたから。先生に言ってやろう」というような小学生みたい。
考えることを放棄した人間に子育ては難しいと思う。
子育てはリアルタイムで起きる答えのない問いのようなものだから。


これまた以前から言っていますが、発達障害における「誤診」と「過剰診断」の問題がなくならないのは、それを受けに行く人がいるからです。
脳検査も、血液検査もしないで、どうして脳の障害、生まれつきの障害、治らない障害といえるのだろう?
どうして脳卒中など脳に障害ができた人でも、リハビリしたら身体を動かせるようになるのに、発達障害の子どもだけ脳の機能は生涯変化しないのだろう?
どうして「生まれつき」というのに、出産時に産婦人科の医師と発達障害の医師がいなかったのだろう?
こういった問いは、発達障害の勉強をしなくても1つや2つ思いつくはずです。
ということはやっぱり「専門家がどうにかしてくれる」「答えを教えてくれる」という思考停止があるのでしょう。
親御さん達が思考停止している限り、発達障害という網に自らひっかかりに行く親子は減らないと思う。


また思考停止が表の要因だとしたら、裏の要因もある。
裏の要因とは「診断名をつけたい」という深層心理。
自分自身の問題とは切り離したい。
自らのコントロール下に置きたい。
自分に注目や注意を向けたい。
(低い存在、保護する存在を作ることで)自己肯定感を満たしたい。
(社会や特定の人、または自分自身の人生に)復讐したい。
本当に障害や診断名を受けることが嫌ならハナから病院に行かなければいい。
診断を受けてショックを受けるのが予想できているのなら受けにいかなければいい。
でも、いやだいやだと言いながら、私には進んで診断名をもらいに行っているように見えるのです。


本当に発達障害かどうか、自閉症かどうか、そもそも自閉症が存在するのかどうかも含めて、いまだ科学的に証明することはできません。
これから簡単に脳の機能低下している箇所をモニタリングできる機械はできるでしょうが、その人すべての神経細胞の動き、状態をモニタリングできる機械はまだまだ先でしょう。
唯一、私たちにできる方法があるとすれば、治せるところ、発達できるところ、伸ばせるところをすべて育て切ったあとで、どうしても残る部分、援助が必要な部分を支援していくことではないでしょうか。




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