【No.1191】不安で促す専門家ではなく、希望で行動を後押しする発達援助者でありたい

下の子が通う保育園は、昨年から一度たりとも子どものマスク着用は求められていません(しかも子どもは誰一人していません)。
今朝も送りに行くと、秋晴れの中、園庭で遊ぶ子ども達は元気よく声を出し走り回っています。
子どもが風邪などの病気になるのは当たり前。
何よりも遊びと食事で生きていくための土台を築いていく方が大事。
そんな考えのもと、園の先生たちは素晴らしい保育をされています。


一方で上の子は公立に通う小学生。
定期的に「子どもを感染から守るため」「子どもの命を守るため」というもっともらしいことを言いながら保身まみれのプリント、要望をしてきます。
子どもの命を守るというのなら、下の子が通う保育園のように自然に免疫訓練をし、また貴重な子ども同士の学び合い、遊びを尊重してたくましい人間を育てていく方がよっぽど子どもの命、100年時代を生きる子ども達の健康と人生を大切にしていると思います。
現在の日本の状況は保身まみれの政治家、専門家と、それに従う自らの頭で考えられない大人たちが招いている人災です。
その本質がわからず、また子ども達に考えることを放棄させるような学校教育がなされいるのです。
我が子には自分の頭で考え、判断することが大事だと伝えていますので、決して「先生がいったから」「お父さんが言ったから」というだけでは行動してはならないと言っていますので、適宜マスク等を外し今の生活を送っているようです。
とにかく北海道の子ども達の学力が低い理由がよくわかります。
保身まみれのバカ教育委員会、学校ばかりなのですから。


近頃では相談メール、発達相談の依頼の際、「新刊、注文しました」とおっしゃってくれる人が多くなりました(誠にありがとうございます!)。
このような親御さん達は新刊を読んでくださったあと、実際の発達相談を受けられる流れになりますので、私が伝えたいこと、また発達援助、子どもの発達状態を見抜く視点をより深く理解できると思います。
もちろん、過去に私の発達相談を受けた方にとっては、発達相談+報告書+新刊となりますので、我が子の発達・成長の意味を理解し、更なるアイディアに繋がるきっかけになると思います。


浅見さんとの対談、新刊制作の過程の中でお話しさせていただいたことでもありますが、この仕事の始まりは、学生時代にふと思った疑問です。
どうして同じ子を育てる親なのに、障害を持っている子の親はこんなにも子育てを楽しめないのだろうか、自由に子育てを行えないのだろうか、普通の子育ては否定されないといけないのだろうか、という疑問です。
それからキャリアを重ねていく中で見えてきたのは、専門家、支援者という人達が親御さんに対して不安を使ったコントロールをしている姿になります。


目に見える障害ではない発達障害です。
ですから、単なる個性、発達途上と思える分、発達の遅れや障害を指摘されたときの親御さんの心境を大きく揺れ動くのだと思います。
そういった状況の中、年端もいかない子どもと、親になって数年しか経っていない親御さんを前に、「風邪のようには治らない」「一生支援が必要な子」「すぐに療育を始めないと、後々大変になる」など、さらに不安を煽るような言葉を投げつける専門家。
どうして支援を使いながらうまく育っていく子、発達障害かと思ったけれども、診断が外れるくらい発達成長し普通に育っている子の話はしないのでしょうか。
専門家というのは、親御さんに考えてもらう情報を提供するまでが仕事だと思うのです。
どちらか一方の意見や情報だけを用いて誘導するのは、しかも不安を煽って誘導するのは、専門家とはいえません。
できるだけポジティブな方向へと向かうような手立てを行うのが専門家の役割で、みなを不幸にするのは違います。


診断で将来の不安、幼児期は就学洗濯の不安、就学後は思春期の不安、思春期は進路の不安、卒業後は親なき後の不安。
こうしてみると、ずっと不安を煽られて子育てをしなければならないのが親御さん達を取り巻く状況だといえます。
ですから、私はそんな親御さんの不安を少しでも解消できるような仕事がしたいと思い、今の仕事を行っています。
私の発達相談を受けたあとのお話として、「この子の発達障害がわかって、初めて前向きな気持ちになれました」とおっしゃる親御さんは少なくありません。


私は不安ばかり煽るギョーカイだからこそ、敢えてポジティブな話をしているつもりはありません。
ただ神経発達の知識とこれまでの経験の中から今の課題を見つけ、どうしたら発達を後押しできるか、どのような刺激が発達に繋がるかを客観的にお伝えしているだけです。
私の感覚で言えば、当たり前のことを当たり前に伝えているだけ。
なので、いまだにギョーカイはヒトの発達を知らずに「発達支援」と言っているのか、親御さんの不安に付け込み、支援の利用、継続を狙っているのか。


親御さんにとっては「やりようがある」というのが希望になると思います。
しかしギョーカイは「やりようがない」ゆえに「支援を受けましょう」という論理で誘導しています。
本当にやりようがないのか。
親が課題をクリアしようとするのは、我が子の発達を望むのは親御さんが障害受容していないからなのか。
それは一方からみた視点であり、意見です。


コロナに関する情報も、「これはデマだ」「あれはデマ本だ」「あいつはトンデモだ」などとあらゆる人達がレッテル貼りをしています。
でも、100年後の未来から見たら、今デマと言われていることが正しかったり、今正しいと言われていることが間違っていたりするのではないでしょうか。
少なからず科学と言うものは、そうやって正しいと考えられていたものが否定され発展してきたし、これからも発展していくと思います。
なので、一人ひとりが今、ベストだと思う選択を考え、行動していくことが大事。


そのためには、やはり不安で行動を促すよりも、希望で自らの意思で動くようにしていくことが良いと思います。
私の仕事は、親御さんが子育ての中で、自分たちでできることを伝えていくこと。
それが親御さんの希望になり、そして前向きな子育てのエネルギーとなれば、これ以上嬉しいことはありません。
そんな気持ちを込めて本づくりに携わってきましたので、新刊を楽しみにお待ちいただければと思います。
明日からは東海地方への不要不急の出張なので、新刊同様、お会いする皆さま、どうぞよろしくお願い致します。


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