【No.1142】18歳で福祉を目指すより、進学を目指したほうが入りやすい

この地域にも、「親が頑張らなければならない」と叱咤激励する先生がいました。
学校に任せっぱなしではいけない。
将来の福祉はどうなるかわからない。
だから、親が家でできることを行い、ちゃんと基本的な生活習慣などを身に付けさせていかなければならないんだ。
そうやって当たり前のことを当たり前に言う、保護者に対しても忖度しないような先生でした。
もちろん、もうこの地域にはいません。
共感する先生や保護者もいましたが、多くの同僚からは疎まれ、管理職からつるし上げられ、あらゆる支援者たちを敵に回し、結局、自ら職を辞し、この地を去っていったのです。
学生時代から目をかけてもらっていた先生だったので、それを知ったときには残念な気持ちと、「あの先生でもダメだったのか」という想いがしました。


当時(今も?)、多くの先生たちが「将来は施設のお世話になるし」と言っていました。
しかし、もう20年くらい前の親御さん達ではありますが、その当時から「この子達が大人になる頃には、施設利用の枠が残っていないはず」と話題になっていたのです。
だから、自分たちで施設を起ち上げよう、居場所づくりをしようと動いたグループがいましたし、とにかく自分たちでできることをしなきゃ、この子に教えなきゃとする親御さん達もいました。
しかし、実際に何をすれば良いかわからず…。
で学校や相談施設に相談すれども、具体的な答えは返ってこず…。
大部分の親御さん達が「たぶん、うちの子は大丈夫」「今まで通り学校が見つけてくれる」というような姿勢でしたが、そんな家庭と同じように、頑張ろうとした家庭の多くも、卒業後は週に1回でも通所できれば良い状態で、18歳から先の人生を歩んでいるのです。


特別支援教育を受ける子ども達の数が増加し続けているのは、みなさん、ご存じの通り。
しかしこれだけ人数が増加し続けているのに、医療崩壊ならず、学校崩壊になっていないのは、少子化の影響で子どもの数が減っているのが大きいと言えます。
もし子どもの数が増えていて、かつ特別支援教育を受ける子ども達も増え続けていたら、従来通りのシステムでは対応できないはずです。
特に義務教育は「待機」や「利用を断る」というのはできませんので。
新しい支援学校ができたり、支援級が増設されたりしているところもありますが、その多くは少子化によって統廃合して空いた学校を支援学校にしたり、学級数が減ったところにその分、新しく支援級を設けたり、です。
つまり、特別支援教育を受ける子ども達が増えたからといって、国の予算が特別増えたわけでもなく、従来の枠組みの中でやりくりをしているのです。


じゃあ、一方で福祉、特に障害者福祉の世界はどうでしょうか。
国の予算から見ても、教育関連の予算が4兆303億円、障害者福祉関連の予算が2兆1422億円(令和2年度)で2分の1。
で、障害者福祉の中には、発達障害だけではなく、精神障害や機能障害の方達に対する分もありますし、学齢期のみではなく、成人もひっくるめて、この予算になっています。
大きな経済成長が見込めない日本ですから、予算自体が大きく増えることはないでしょう。
となると、今、障害者福祉を利用している人がどかないと、新しい人、これから成人していく子ども達は利用できないのです。
今の利用数を維持するだけで、この予算の大部分が使われている。


福祉の現場を見れば、低賃金で重労働、もちろん、離職率の高い職場です。
支援の質、専門性(?)なんかは夢のまたの夢の話。
まずは今日一日の人手を確保するだけで目一杯なのですから。
現場だって維持するのが難しいのに、これから新しい人を、特にどんどん増え続ける特別支援教育を受けた子ども達を受け入れるだけの枠も、余力もありません。


福祉の枠が空くときは、その人が亡くなるときです。
福祉は一般的な自立を目指していないからです。
常に支援付きの自立ですので、いつまで経っても利用者が減ることはありません。
だから、亡くなるときしか、その枠が空かない。
となると、限られた枠をみんなで奪い合う状態が続きます。


子ども時代、希望すれば特別支援教育を受けることは可能です。
このまま、少子化は続くでしょうから、特別支援教育を受ける子どもが増えても大丈夫でしょう。
しかし、卒業後、成人後は、180度違う世界が待っているのです。
同様の支援を受けるには、福祉から選ばれる人間になっていなければなりません。
既に重度の人達は、なんだかんだ理由をつけて断られている事態が一般化しています。
そりゃそうです、余力のない福祉の現場は、問題がなくてラクな、それこそ、グレーの人たちを選びます。
ギョーカイは「ありのまま」を謳いますが、それはギョーカイの宣伝戦略であって、現場は知ったこっちゃないのです。
「ありのまま」の人を拒否するのが、福祉の現場。


ですから、問われるのは、子ども時代をどう過ごしてきたか。
何を学び、身に付けてきたか。
この地域にいた先生が言うように、親の頑張り、家庭の頑張りが問われるのです。
育てられるところは育て、課題があればクリアしておく。
国のほうも、肢体不自由の人や医療的ケア児のほうに予算の重きをつけるようになっていますので、発達障害児者の人達はできることを各々でしなければなりません。


大学が全入時代と言われています。
私立の小中高だって、子どもが少なくなり、児童生徒獲得が至上命令になっているくらいです。
その時代に、なぜ、診断を受けようとするのか、特別支援教育の世界に入ろうとするのか、私にはよくわからないのです。
18歳で福祉利用を目指すより、18歳で大学受験した方が、専門学校を目指した方が入りやすいし、その後の将来の選択肢も多いと思うのですが。
昔は、職業訓練校、より良い高等支援学校なんて言われてたけど、今なら育てられるところは育て、教科学習も頑張り、進学した方がよっぽど就職先があると思います。
福祉が丸抱え?自立生活のサポート?
それは昭和平成の人達の話であって、令和の子ども達が大人になる頃、そんなのは不可能に決まっていますよ。




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