【No.1248】横文字の支援者、日本語の支援者

「濃厚接触」って英語でなんていうのでしょうかね。
それこそ、「Deep state」でしょうか(笑)
たぶん、こんなことを言っているのも、実際にやっているのも日本くらいでしょうから「Noukousessyoku」だと思います。
世界では既にコロナモードから戦争モード、そして食糧危機でのコントロールへ向かっているのに、日本はいつまでマスクをして、濃厚接触者なる作られた言葉に振り回されているのでしょうか。


PCRだって義務化されていないのに、職場や学校などで一人陽性者が出ると、心配になって自らPCRを受けたりする。
そして空気中にも漂っているくらいのウィルスですから、症状がなくてもたまたま鼻の粘膜にいたやつがキャッチされ、無症状感染の出来上がり。
無症状感染者の同居者は濃厚接触者になるので、これまたPCRする人もいるでしょうし、しなかったとしても同じように隔離されてしまいます。
まさに芋づる式にコロナ感染者は作られていき、社会も、経済も、個人の人生もボロボロ。


だから症状がない人はPCRを受けない、拒否する。
大人たちが率先してマスクを外していく。
3回目の接種が人口の50%を超えた国から感染爆発、第七波に突入しているので、もういい加減、接種をやめる。
そうやって一人ひとりが行動しなければ、いつまで経っても終わらないし、大切な人生の時間が奪われていくだけ。
子どもにとっては神経発達に大事な時間。
若者たちにとっては自我を育て、どうやって生きていくかを考える大事な時間。
高齢者だって残りの人生を考えれば、貴重な時間だったと思います。
コロナに罹らないことだけを優先させた結果、家族との時間、友人との交流、旅行などの老後の楽しみを失ってしまったのですから。


占領軍が日本の言論活動を検閲によって支配しようとしていたとき、その言語の複雑さに困惑し、苦慮したという話があります。
確かに日本語は同じものを表現するのにも様々な言葉がありますし、微妙な心情や自然の様子、移り変わりなど、曖昧で繊細な言葉も数え切れないくらいあります。
同じ日本人の私が当時の人たちの文章、言葉を見ても、その意味と表現の多様さ、複雑さを感じるのですから、書籍を1冊検閲しようとしても、相当な苦労があったと思います。
そのため、多くの日系人、日本人が検閲に従事したと言われていますが、その日本人が日本語を英語に翻訳し上官に意味を伝えるのも相当大変だったはずです。


欧米諸国が行ってきた植民地政策では、まず現地の言葉を禁止することから始まります。
言葉を奪うことは、その人たちの文化を奪うだけではなく、思考までをも奪うことになります。
人間は言葉によって思考しますので、長年その土地、文化で培われてきた言葉を失うと、頭と心に空白ができるのです。
そこに自分たちの言語を教え込み、また現地の人に自分たちが使わせたい統治に有意な言葉を作ることで、人々を染め上げ、コントロールしていくのです。


本当は日本人も公用語を英語に変えようとした動きがあったようです。
しかし実際はそうはならず、統治されていた間も、日本語で思考することができました。
もし英語になっていたら、戦後の復興はなかったかもしれません。
この複雑な言語が、複雑な思考を生み、精密な工業製品や革新的なアイディアを生みだしてきたはずですので。
某都知事が「オーバーシュート」「ロードマップ」「ステイホーム」とやたらめったら横文字を使うのは、聴いている人を思考停止させる洗脳の手段、ルー大柴は違うと思いますが(笑)


横文字で言えば、欧米からの輸入で発展してきた特別支援の世界にも溢れています。
「ビジュアルストラクチャー」=視覚的構造化
「フィジカルオーガニゼーション」=物理的構造化
「ソーシャルスキル」=社会技能
「スケジュール」=予定表
「コミュニケーション」=伝達、意思疎通、交流
「トランジションカード」=移行カード
「タスク」=(自立)課題
「インディペンデント」=自立


少し勉強した気になっている支援者というのは、上記のような言葉を使いがちです(笑)
「〇〇くんのビジュアルストラクチャー、絵よりも写真のほうがいいんじゃない」
「もっとソーシャルスキルの時間を設けて指導しなくちゃね」
「コミュニケーションは、PECSを使うことも考えてみては」
その意味を分かっているのか、まるで専門用語のように飛び交っています。
ですから、本質的な部分が分からず、その支援者が最初に見たまんまの支援の形を再現するんですね。


自閉症の子を見たら、みんな、どの子も構造化しちゃう支援者。
言葉のない子を見たら、みんな、コミュニケーションカードを使おうとする支援者。
日本の特別支援教育は、先行して取り入れてきた日本の福祉の猿まねで、その福祉も欧米の支援の猿まね。
日本の文化、環境と融合させることなく、ただ欧米の支援の形を再現しているだけ。
だから全国どこに行っても、療育も、学校も、児童デイも、金太郎飴のような同じ支援が行われているのでしょう。
来年度の入学者、利用者のその子ではなく、障害名を見て、支援の準備がされていくのはこの時期の風物詩となりました。


「コミュニケーション」という言葉が使われますが、それが意味するところは深くて広いはずです。
「発語があるかどうか」「言葉の理解があるかどうか」といった要素から、「相手と目が合うか」「場に即した表情ができるか」「相手との距離感は適切か」「適当な返事ができるか」「雑談が可能か」「言葉の明瞭さ」「話し言葉の早さ」「単語、語句の幅」「視点の切り替えとそれに応じた言葉使い」「例え話、擬音語、擬態語、駄洒落の理解」など、多岐にわたっています。
本来、日本語で言えば、これだけの要素、意味があるのですが、どうも支援の世界で「コミュニケーション」というと、コミュニケーションカードを使うかどうかといった狭い範囲の話で終わってしまう印象があります。


日本の特別支援は鹿鳴館のようなもので、急ごしらえの西洋文化といえます。
意味を捉えることなく、形だけ模倣している。
そして今もなお、西洋絶対主義で、日本的なもの、東洋的なものを「エビデンスがない」と言って否定し続けています。
でも一歩、特別支援、ギョーカイというムラ社会から出てみると、もっと良いものがあり、西洋が得意な対処療法ではなく、東洋的な未病と根本治癒の道があったのです。


視覚優位ということは、その裏には聴覚の未発達があり、内耳を育てる方法があります。
思考の固さ、白黒思考は、身体を弛めることができず、脳に余裕が無いから。
手先が不器用だからといって細かい作業を繰り返しても細かい指の動きができるようになるだけで、脳から末端への指令、伝達の問題は解決しない、そこは中枢神経・首と背骨で治せる。
怖がりや慢性的な不安感は薬で抑え付けるよりも、恐怖麻痺反射、胎児期の愛着障害、愛着形成が根っこで、呼吸と背面のアプローチで弛んでいく。
別に輸入してきた特別支援に頼らなくても、根本から育て直していける方法はたくさんありますね。


ムラの中心に鹿鳴館が立っているような日本の特別支援。
そのムラでは「治る」は禁句でした。
「治る」という言葉を皆が使わないようにすることで、抜け駆けを防ぎ、責任回避を得、仲間内の支援を専売特許して売り続けることができたのです。
知らず知らずのうちに入ってきた新しい親御さん達が、「治るんですか」「治らないんですか」と発すると、強い反発と否定がやってくるのはムラを守るための防衛本能の表れです。


「特別支援」などという言葉を使っていますが、なにも特別ではなく、むしろ、特異的な支援のことを指していると感じます。
このように良いようにして言葉は作られ、使われています。
知らない人が聞いたら、「特別な良い方法、特別な専門性がある方法」だと連想してしまいがちです。
ですから、言葉に対しては言葉で応じなければなりません。


発達障害は特別支援というギョーカイ内だけの話ではありません。
彼らに必要なのは支援の前に、発達のヌケ、未発達の部分を育てていく普通の子育てです。
そうやって特別支援が輸入される前から、私達は違いは違いとして認め、みんなで学び、育ってきました。
私が子ども時代だって、クラスに発達障害の子、自閉症やADHD、LD、知的障害の子もいました。
だけれども、そんな言葉はなかったし、先生も違いに応じた指導をしながら普通に接していました。
昭和から平成、令和になって、「多様化」というわりにはどんどん窮屈で、多様性が失われた社会が子ども達の世界までやってきたような気がします。
もしかしたら欧米から入ってきた「多様化」という言葉も、意図的に作られた言葉なのかもしれません。


とにかく発達障害は誤診ばかりで、その誤診された90%くらいの子ども達は根本から育て直していくことによって、遅れは取り戻せ、本来の発達の流れに戻ることができます。
またなんでもかんでも「発達障害」「特別支援」と言わないことで、凸凹がある子も同年代の子ども達と一緒に学び、成長していけると思います。
発達に遅れがある子も必要なのは、同年代の子ども達と同じような学ぶ機会と育つ機会。
ですから私達は自然な言葉を使って、そういった子ども達の発達も後押ししていきましょう。
「治る」は日本語であり、自然な言葉。
「治らない」はムラの掟であり、不自然な言葉。
子どもがどのように発達成長していくかなんて誰にも分からないのですから、ちいさい子を診て「治らない」といってしまうのは、まさに「フェイク」ですね(笑)




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