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【No.1435】育て『型』から『方』へ

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この前の相談でもそうだったんですが、多くの親御さんが私に発達障害の治し”かた”、育て”かた”を聞きたい、教えてほしいと思われています。 一般的な療育や支援から連想すると、視覚支援やABAなどと同じように決まった形や方法があるように捉えられているのでしょう。 だからみなさん、その型を知りたい、教えてほしいと。 治し方、育て方の”かた”は『型』に近いのかもしれませんね。 特別支援を含めて、我が国の教育は「型にはめる」ことを続けてきた弊害もあるでしょう。 「型にはまらない子を型にはめる教育、療育、支援」という言葉が浮かんできます。 改めて私が行っている発達相談、援助を考えてみます。 その中心は、発達障害を固定化されたものではなく、神経発達を促す、育てる方向へと導き、後押ししていくこと。 そういった意味で治し”型”ではなくて、治し”方”なんですね。 発達障害は治らない、自閉症は治らないと教わり、そう信じ込まされてきた親御さん達、もしかしたら本人たちも。 だけれども、神経発達を促すことによって、課題が克服できたり、自立や自由が手に入れられたり。 子どもさんだったら、友達ができた、勉強がわかるようになった、不安やイライラが減って穏やかになった。 そういった家族みんながよりよい方向へと進んでいくのが発達援助の考え方です。 決してハウトゥーを売っているわけじゃない。 発達相談を終えて、すぐにいただく感想は「とっても楽になった」というものです。 子どもさんよりも先に親御さんが楽になる。 最初、暗かった瞳に少し希望の光を感じることができた。 私が料金を受け取ることの次に喜びを感じる瞬間です(笑) 神経発達を促す、育てる方向性が決まれば、親御さんが腹落ちすれば、あとは子どもさんを観察すればいい。 私の発達援助の基本は、「育てたいところは子どもさん本人に訊く」です。 家の中には、その子が育てようとしていることの痕跡があるものです。 その子が好んで過ごす空間には、心地よい感覚、つまり育てようとしている感覚刺激が漂っている。 その子が生み出す遊びには、その子が必要としている身体への刺激がちりばめられている。 その子が家族に求めることは、その子の心が求めている安心と自立心を育てたいという意思が表現されている。 それが我が子だから、障害特性だから、という視点で見ていると、発達援助のメッセージを受け...

【No.1434】一般就労を阻むものは?

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働きたくても働けない、一般的な8時間労働ができない人もいる。 一方でバリバリ働きたくても働けない、働かせてくれなくて不満を持っている人もいる。 働けない人に合わせた社会が望ましいのか、それが健全な社会といえるのか。 仕事がやりがいになっている人もいるでしょうし、政治家、首相となれば24時間365日しっかり働き続けてもらわなければ困る。 災害や外交上の問題が起きたとき、「いま、勤務外なので」という首相をお望みなのだろうか。 それにしても、日本人はいつからこうも働きたくない国民になってしまったのだろう。 みんなが横並びで働かなくなったことが失われた30年を作ったのは明白なこと。 働きたい人は組織など属さず、起業したり、成果型の仕事に就いた方が良いと私は思っています。 「働きたいけど、働かせてくれない」という相談はここ函館だけではなく、全国各地からやってきます。 大卒、専門学校卒の人を相変わらず障害者枠で雇ったり、A型B型の福祉的な作業所に閉じ込めたりする事例が後を絶たない。 企業としては、そりゃあ、ある程度、学歴、つまり適応能力が合って、ちょっと変わった人くらいが良いに決まっています。 問題起こす人を雇うほど余裕がある企業は日本にありません。 また福祉事業所としても、暴れる人よりも、静かに黙々と働いてくれる人が良い。 ほぼ素人の職員、パートのおばちゃんで、この頃は外国出身の人で成り立っている福祉ですから。 同じ補助金がもらえるのなら、できるだけ軽度で問題がない人が良いと思うのは自然な流れでしょう。 どこに「障害を持った人のために!」と熱い思いで働いている職員がいるのでしょう。 そういった人もまたマイノリティ。 相談者の99%は当事者、本人で、訴えのほとんどは「もっと働きたい」「自立して生活がしたい」というものです。 じゃあ、彼らの訴え、希望を阻んでいるのは誰でしょうか。 もちろん、お客さんとして迎える企業や福祉事業者といえますが、多いのは親、家族なのです。 「今の福祉的な作業所をやめて、一般就労したい」 そういったとき、一番に止めるのは家族です。 「二次障害」という洗脳もあるでしょうが、実際にお会いして話を伺うと、親が何より不安なのです。 いまの安定した生活が崩れるかもしれない。 それは本人も、私たち家族も。 お給料は少なくても、なんとかやっていけてるからこのままでいい...

【No.1433】「耳は耳単独では耳にならない」

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20年以上前になりますが、高校時代の生物の先生がこんなことを言っていました。 「耳は耳単独では耳にならない」 学校の勉強はそのとき、あまり必要性を感じない。 だけど、大人になっていろんな経験を積んでいく中で、「ああ、そういうことか」とその意味に気が付くことがある。 冒頭の生物の先生はどんなことを言っているのでしょうか。 耳という構造は、内耳、中耳、外耳という3つの構造からできていて、それぞれ音に関する鼓膜や耳小骨、蝸牛、平衡感覚に関する前庭と三半規管などがあります。 外から見える耳の形も、音(振動)が通っていく耳の中の形も、そこに意味がある。 こういった1つの構造、器官を取り出しても、それ単独では音も聞けないし、身体の傾きも感じることができません。 それぞれの器官が連携することで初めて機能が発揮されますし、受け取った刺激を認知するためには脳と神経線維で繋がっている必要がありますね。 つまり、いろんな構造、器官、機能が合わさることで発揮される仕組みになっているのです。 これは20年の時を経て、発達援助に大きな意味と気づきを与えてくれています。 昨日のブログのテーマであった「耳の発達援助」 聴覚に課題があるからといって聞く機能にばかりに注目してはダメなのです。 一時期、ビジョントレーニングなどというものが流行りましたが、目だけを訓練しても根本解決には至らない事実がその例の一つ。 感の良い方ならパッとお分かりになるでしょうが、言葉に出ない子に言葉の訓練をしても会話できるようにならない、知的障害のある子に勉強だけを教えても理解に繋がらない、多動児に座る訓練をしても変化がない、といった理由も気付くことでしょう。 聴覚の課題は音だけではなく、平衡感覚方面からのアプローチも必要です。 両方が耳としての機能だから。 そしてその耳はどう育てていくのか。 ヒトはどのように耳を育てていくのか、耳という器官は進化の過程でいえば、どういったところから発生しているか。 哺乳類の始まりといわれるネズミのときの耳はどんな音を聞いていて、我々とはどのような違いがあるのか。 こういった視点と知識が発達援助の”治る”を支えています。 私の好きな言葉である「治しやすいところから治す」@花風社さん これはシンプルな方針に見えますが、とても深い意味を持っています。 たとえば「耳の課題」で説明すると、耳を治すに...