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【No.1500】「根本から治す」と「治しやすいところから治す」

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先週の講演会の中で纐纈さんが 「身体が整うと、それまで見えていなかったアンバランスさが表に出てくることがある」 「それは悪化ではない」 というような話がありました。 私は「人体は階層化されているからなぁ」と思いながら聞いていて、たまねぎの皮をむいていくように表に現れた問題、病層が良くなったら、より深い問題、病層が出てきて、また治してを繰り返していくと根本に突き当たって全体的な回復があるんだろうな、と想像していました。 そして想像から連想へ。 発達障害も「根本から治す」「根っこから治療する」というようなことがあって、発達も階層になっていて、土台となる発達の上に次の発達が乗っかっていくもんだから、土台が崩れるとその上の発達にも歪みなどの影響が出てしまう。 だから、根本、土台となるような部分にある発達の課題へアプローチして、そこを治しちゃえば、全体的な不具合がよくなると考えられるし、実際もそうだと思います。 発達障害の場合、ヒトの発達の順序は共通しているし、その子を観察すればどの時点で発達がズレ始めたか、問題が生じたのかがわかるので、身体の施術とは違って一気に根本を掴もうと思えば掴むことも、そこからアプローチを始めることもできちゃうんです。 だけど、発達援助の大事な指針の一つに「治しやすいところから治す」というのもある。 治しやすいところっていうのは、別の言い方をすれば、やりやすいところ、やさしいところとなります。 根本からアプローチして治せれば、一気に全体が変わる。 がしかし、取り組むには時間も、労力もかかる。 一方でやりやすいところ、やさしいところは本人も自覚しやすいし、何を治そうとしているのかがわかりやすい。 もちろん、それをサポートする親御さんや援助者にとっても。 そしてなによりも、そういったやさしいところが治れば、ちょっとかもしれないけど、その人本人の生活が楽になる、健康度が増す。 そうしたら、また次はもうちょっと難しい課題に取り組もう、という力と意欲が出てくることもある。 それを繰り返していけば、根本の課題、大きな課題にも主体的に取り組んでいくことができるんですね。 やさしいところから、治しやすいところから治していくのは根本の問題に立ち向かうための準備ともいえます。 最初から見えていたとしても根本を掘り起こさないのは発達援助のコツかもしれませんね。 根本から治...

【No.1499】私達子育て世代の人に起きていること

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先日の講座の準備で、あれこれ勉強してたとき、自分にも発達障害があったんだろう、とふと思ったんです。 あの先輩に、あの先生に、あの上司に「よくそんなことを言えたね」と周囲から言われ、「ああ、まずいこと言ったかも」と気が付くことがありましたね。 正義や正しい、正直にこだわりがあって、それに反する人、行為には徹底的に指摘していた。 それは子ども時代から30代に入るくらいまでずっと。 頭の中で集中しちゃうと、勝手に口から言葉が出てきて、それが忖度なしのストレートな物言いなもんだから、周囲の凍り付いた空気を感じて、またやっちまった、と思うことなんて多々。 理解のある人からは「大久保くんは若いからね」「正義感が強いからなぁ」なんて言われていたけど、まあ実際、自分もそうかなと思っていたけど、たぶん、神経の繋がりが跳んじゃっていたところがあったんだと思う(笑) 「繋がるべきところが繋がっていない」 そんな脳神経学の言葉を見ると、過去の自分が蘇ってきていました。 発達障害は「遺伝」と「環境」と「育ち」が絡み合って生じる。 とくにここ20年の発達障害児の急増は、環境の大きさを物語っているでしょう。 体内によくないものが入り、蓄積し、それが次の世代、次の世代へと移行。 農薬や化学物質、重金属などの公害。 いずれも日本では厳しい基準値が設けられていて、そのほとんどが「基準内」で「安全」となっていますね。 だけど、基準内だからといって「無害」にはならないでしょ。 何種類も複合して体内に入った場合の安全基準はどこにもないし。 自分で発達相談のサービスを起ち上げた頃は、「私も自閉入っているから」と言うお母さんが多くて、私も「その傾向はあるかもしれませんね」なんて笑いながら返していました。 だけど、いまは笑えなくなった、お決まりパターンの冗談じゃなくなった。 脳の状態がおぼろげながらも見えるようになったいま、発達相談のたびに、ほぼ100%の確率で親御さんに発達の凸凹、邪気が出ているのを感じます。 もちろん、働き、結婚し、子どもを授かるくらいの親御さん達ですから、軽度も軽度の発達障害です。 微妙な、微小な、神経発達、神経ネットワークの障害。 たぶん、戦後、日本が急成長し、社会構造が大きく変わる中で、それまでの人類、生物、地球が体験しないほどの環境の改変が起きたのでしょう。 それが世代を跨ぐごとに人体...

【No.1498】~花風社夏祭り2026~第二部の話

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花風社の浅見さんから「新しい著者の方との対談を」というお話をいただいたのが、6月でしたね。 療育整体の自律神経編を出版されたとき、「もうこれでやるべきこと、出すべき本、知見は世に出せた」という浅見さんのお気持ちを聞いていましたので、私はもう新刊は出ないかもな、なんて思っていました。 そんな中での新刊に取り掛かる話、新しい著者の方との対談の話が来たのでびっくり。 またそういった気持ちを変えさせるくらいの知見なんだと期待が膨らみます。 で、浅見さんと纐纈さんとの打ち合わせに臨みました。 事前に資料を貰っていて目を通しましたが、私の中では「浅見さんの気持ちを変えさせた」前提ですので、有益なのはわかるけど、その凄味みたいのまではわかりませんでした。 昨晩も触れましたが、構造化と行動療法の2本槍でなんでもかんでもエイヤーでやっていたところに、花風社さん、浅見さんが身体アプローチを見つけ、確立、そして今ではスタンダードになるくらいまでになった。 その延長線上に療育整体があり、今回の纐纈さんの知見と実践があって、本になるんだな、というのが打ち合わせ後の感想でしたね。 そして昨晩、講演会が始まります。 私はいつも通り、「なるべく鮮度が良いものを」という姿勢で、20時から始まる講演会の2時間くらい前から話すことを考え始めました。 もちろん、対談のお話をいただいてから、纐纈さんの知見、対談相手が務まるようにこれようの勉強と準備はやってましたよ。 古い資料を引っ張り出したり、本棚の前で眺めながら「これだ」というものを読み直したり。 とにかくインプット、インプット、インプット。 たくさんため込んで、直前に一気に吐き出すという感じです。 で、そんな感じで講演会に臨み、纐纈さんの話を聞いていると、「浅見さんの気持ちを変えさせた」凄味、意義がどんどん伝わってきたんです。 私は身体のプロではありませんので、栗本さんの知見も、療育整体と纐纈さんの実践も、大きな違いがわかりません、実際は。 大きく括れば、西洋一辺倒のハッタツの世界に入ってきた東洋的な知見たちという認識でしたが、ポイントはそこじゃなかった。 技術、やりかたの違いじゃなくて、もっと大きな違いがあった。 それは一人称のアプローチであること。 つまり、当事者、本人の目を通した、身体の内側から求められる要求に対する技能ということです。 支援する...

【No.1497】「強度行動障害への支援を国に訴える」?

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全国で12万人「強度行動障害」自傷を繰り返す我が子のため福祉サービスを始めた母...その思いに迫る(メ~テレnews|2026/7/30) を視聴しました。 明日の講演会の内容に繋がります。 どのようにつながっていくか、は当日、アーカイブ視聴のときに確認してくださいね。 「強度行動障害っていうのは知っているけれども、実際、そのような人に関わったことがない」という方はご覧になると実態が掴めるかもしれません。 で、今回の講演会のメインである纐纈さんがどのような視点で、どのような身体の手当てを提案されるのか楽しみですね。 10分ほどの映像でしたが、思うことは多々あり…。 でも講演会の話の展開によっては今はお口チャックで(←昭和の表現)、別の話を。 YouTubeで視聴したため、おススメに同じような内容がいくつか上がるようになりました。 深夜のドキュメンタリーで視聴したものもありましたが、初めて見るものもありって感じです。 そんな中で気になったのが「強度行動障害への支援を国に訴える」というワード。 国民みんなが幸せを求める権利があるのですから、強度行動障害を持つ子も、家族も、同じような権利を主張するのは当然でしょう。 がしかし、国の制度として、インフラの不備によって強度行動障害の人達は幸福を求められないのか、それが阻害されているのか。 別の見方をすれば、国が何をすれば強度行動障害の人と家族は幸福を求められるのか。 国にできることって、予算を作って直接的な金銭的な補助をしたり、支援サービスが利用できるようにしたりすることくらいしかないと思う。 年間に数十万円振り込まれても、部屋の補修とか、移動のガソリン代とかで、それで強度行動障害自体は良くならないでしょう。 支援サービスも、移動支援、余暇支援、相談支援など、こちらも直接的な症状の軽減というよりも、生活の質の担保がメイン。 これって強度行動障害の人を支援していることといえるのかな。 本人たちからすれば、補助金が出たとか、強度行動障害の認知が広がったとか、そこじゃないよって言うと思う。 まずこの苦しみを和らげてほしい、楽にしてほしい、というのが心からの願いでしょ。 そこに応えられる支援者、援助者、専門家がいないことが問題。 だから、本人がもがき苦しみ、最悪にならないための下手くそな対処法しているに過ぎないんですよ。 自傷は自らを...

【No.1496】失敗を誤差信号にできるかどうか

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「自閉症の人に失敗をさせてはいけません」 支援者は頷き、親御さん達は涙を流していましたね。 日頃、怒られることも多いし、自分が怒ることも多い。 そんな自分に対する嫌悪感を抱きながらの毎日に、「失敗させない」は「怒る必要がない」「もう怒らなくていい」と変換されたり、「もう無理はさせない」「できることをやらせて、自己肯定感を上げよう」と変換されたりしたんでしょうね。 事実、高機能、普通級にいた発達障害の子ども達にはこれぞといった支援ってなかったから。 2000年代、高機能ブームで一世風靡した有名支援者があちこちで言ってました。 で、その同じ流派、お弟子さん達が各地に散らばり、「失敗させない教」の布教に努めてた。 私は耳にしなくなったけど、まだそういった主張をしている人達っているのかな。 なぜ、失敗をさせてはならないのか。 その理由は、「自閉症の人達は忘れることができないから」と言ってましたね。 失敗したことが頭に残り続けるため、何度も自分自身を傷つける。 だから自己肯定感が下がって、二次障害に繋がるって主張でした。 まあ、この有名支援者は当時主流のアメリカ系ではなく、イギリス系だったから、そういったことを英国で教わってきたんだと思うんです。 ただ気を付けないといけないのが、この有名支援者の愛着障害はかなり複雑で重かったこと。 イギリスから戻ってくる飛行機の中で変換、脚色、そもそも受け取り方にバイアスがかかっていた可能性があるね。 じゃあ、当時、若手だった私自身はその主張をどう捉えていたのか。 トレーニングを受けて函館に戻ってきて、学生時代から仲良かった親御さんに話したら、「うちの子、何度言ってもすぐ忘れるよ」って(笑) 記憶の特性として、パソコンがすべてのデータを記録するように記憶するっていう意味じゃなくて、失敗した理由や意味、何が悪かったのか、どうすればよかったのか、がわからない場合、強い叱責が感情的に処理できず、トラウマのようになりやすいってことじゃないかと思うんです。 そこを端折ってあちこちで「失敗はさせてはいけません」っていうもんだから、間に受けた人たちがたくさん出たって話、結局は。 で、今日の話になるんだけど、失敗はさせたほうがよいよね、たくさん。 その失敗経験も、人生の糧になるからね。 それに失敗というのは脳を育てるし。 うまくいかないことがあると、大脳に誤...

【No.1495】「私の専門は発達障害児の親です」

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「私の専門は発達障害児の親です」というような親御さんっているよね。 発達障害を持つ我が子を育てる、が生活のすべてで、人生そのもので、生きる目的になっているような。 そんな人は、子どもの変化、反応に一喜一憂して、なにか問題が起きるとガクッときちゃう。 ひどい場合は「もうだめだ」「諦めるわ」と立ち直れなくなる人もいて、親御さんのほうがうつ病などを発症するケースもある。 こうなると、発達援助という話どころではなくなるね。 どうしてこんな風になるのかな、と長年考えてきました。 一番は「頼ったけど、期待を裏切られた」という経験の積み重ねかなって思う。 医師のところにいけば、治すための治療やアドバイス、それができなくても改善する工夫や方法なんかを教えてくれると思ってた。 だけど、診断して終わり。 で、「発達障害は治らないし、生涯にわたる支援が必要」と親の、家族の希望を打ち砕く。 療育機関に行っても、根本から変わるわけじゃない。 学校も、福祉も、できることは限られている。 となると、親御さんが抱え込むしかなくて、必然的に親子が一体化しちゃう。 「この子を守れるのは、育てられるのは私しかいない」と。 あともう一つの背景は、「ああ、援助者の影響か」ということ。 援助者の多くは仕事として関わっていますよね。 仕事としての援助。 だから、関わっている子ども、人が成長したり、改善したりすると、それが喜びに繋がる。 一人でも多くの発達障害者に良い援助ができることが目標になったり、生きがいになったりする。 で、そのテンションで、その姿勢で親御さんと面談や助言を行う。 「発達障害を改善することこそ、もっとも価値があることなんです」って。 こういう援助者が多いんじゃないかな。 援助者というよりも、技術者、サービス提供者、支援のための支援者といえるかもしれないね。 支援マニア、オタクも交じってると思うけど。 こういう人達はほんとに困ったもので、親御さんの人生を狂わせちゃっていることもあるな。 発達障害を持つ我が子を育てる以外の生きる目的がなくなってしまったら危ないの。 当事者の人との発達相談では、発達障害の治療や改善が人生プランにならないように気を付けるのが基本となってるんですよ。 治療や改善から切り離された生きがいや目的、自分の人生プランをもてるように援助することがもっとも大切なことなんです。 だ...

【No.1494】発達相談は検討会

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ついこないだ『ブラタモリ』で熊本城が出てたよな、それを見たばっかりだな、と。 10年前の被災からの熊本城を復興させようと現場で汗をかいている人たちの姿が印象的でしたね。 もう一度、石を一つずつ積み上げていた石垣が再び崩れる様子を見たら辛くなった。 各地域にはそこを象徴するような山や建物があって、ひとはその大きな存在に守られているような、「ああ、私は今日も共に歩んでいる」というような気持ちをいだくもの。 熊本に住む人たちにとって、その一つが熊本城だったと思います。 今回、亡くなられた方が多数いたと知りました。 心よりお悔やみ、お見舞い申し上げるとともに、暑い中での生活、また復興に携わる方たちが体調を崩されませんようお祈りいたします。 このような大きな災害が起きると、物質的な支援、金銭的な支援、人的な支援が必要ですし、今回も地震発生後数時間で次々と支援が行われていた日本はすごいと思いますね。 日本アゲの意味ではないですが、同じような地震が起きたベネズエラでは1か月経った今でも建物も、そこに住む人たちの生活も、発生時そのままで復興へ歩き出せていない状況があります。 ただ復興(支援)では違いがある両国だけど、映像から伝わってくる“共に歩む”という気持ちの面では変わらないと思います。 被災した人たちに心を寄せ、自分にできることをする、いつもの生活を崩すことなくやるべきことをやる。 発達相談における大原則として、「それは仮説である」というのがあります。 親御さんから、または本人から「この問題、どうしたらいいんでしょう。なにか方法はありますか?」と相談される。 で、私は本人のアセスメントから、また過去に関わってきた人たちからの経験と、過去に学んだ知識、技能から、「こういった方法がありますね」と返す。 でも、これは“答え”ではなくて、“仮説”なんですね。 あくまで、「いま、この時点で考えられた仮説の一つです」という話。 この仮説がご神託のようになったらまずい。 なにがまずいかといえば、与える者と与えられる者の関係になっちゃうこと。 もちろん、100%その人に合ってて効果があるといったことはないし。 大事なのは考えられた仮説をテーブルの真ん中に置いて、親御さんと本人と援助者みんなで眺めながら検討すること。 「いま、先生はこういったけど、私が日頃見ている感じでは、ここをちょっと変えたほ...