【No.1526】発達障害よりも、“子ども”ってことの方が大事

発達障害よりも、“子ども”っていうことのほうがずっと大事だと思ってる。
子どもがどうやって発達するかっていったら、遊びだよね。
たくさん遊ぶことで身体が育つ。
外でいっぱい遊べば感覚が育つ。
ひとと一緒に遊べば社会性が育つ。
どの子も「これから発達させよう」とか、「ここからは発達の時間だ」とか、思って発達させてはいないよね。


有名な先生のもと、何時間もかけてアプローチを受けに行く。
子どもさんが高校生くらいならそれでも大丈夫かもしれないけど、幼児さんがそんな感じで出かけて行っても、集中して受けられるもんかね。
電車でも、車でも、その時間じっとしてないといけないから、身体がガチガチになるし、機嫌だって悪くなる。
だったら、近場の公園で自由に遊んでいるほうがずっと発達に繋がると思うな。


発達って、「今、刺激しました」「はい、発達します」ってことはないよね。
継続的な刺激が必要だし、脳(神経)に「この神経回路は必要性がありますよ」ってわかってもらわないといけない。
それには生活の場面で、実際に使うような神経回路じゃなければならない。
いくら子どもの神経でも、日ごろ、使わないような(余分な)回路は作られないからね。


特定の先生、特定の機関で、療育や施術、様々なアプローチを受けている家庭って多いと思う。
見ている限り、子どもは楽しそうに受けているし、ちゃんと最後までやることができている。
そんな姿を見ると、親御さんとしては安心したり、効果を期待したりすると思うんだけど、そこで、その場面で、その時間で終わっていることって多いんじゃないかな。
療育機関でできているけど、家や園ではできない。
本人も頑張ってるし、長い期間、通っているけど、じゃあ、発達が進んで当初の課題が解決できているかと言えば、そうではない。


塾のように定期的に通ってうまくいく場合は、コツを掴んだ時だけだと思うな。
すでに獲得している神経回路があって、先生の関わりをきっかけに別の神経回路と繋がるって感じ。
この動きと、この動きを合わせたら、新しい動きができた、というような。
だけど、発達障害って、発達の遅れやヌケなんだから、コツを掴む、新しいスキルを獲得するのとはやっぱり違う。
コツコツ刺激し続けることが必要なんだ。


習ってきたことを家でもやってみるという家庭も多いでしょう。
これは「コツコツ刺激する」ことになるから、その活動に必要な神経に刺激が通り続け、新しい神経回路ができることにつながる。
だから、特定の機関に通って終わり、お任せしてます、の家庭よりはずっといい。
ずっといいけど、ここでもやっぱり「できるようにはなっているけど、発達障害、発達の課題が良くなっているかと言えば、あんまり変わってないかな。発達障害のままだな」という家庭が多いんじゃないかな。
実際、発達相談していても、ここの層が、ここの段階から抜け出せない家庭が多いのが現実。


ここら辺のニュアンスは文章では伝わりづらいんだけど、よく用いる例としては「試験勉強」だね。
試験勉強したらテストの点数はとれるようになる。
だけど、幅広く知識があるか、現実社会でその知識を応用し、活かすことができるかっていったら、そうじゃない。
つまり、特定の動き、スキル、神経回路ができたけど、それが日常生活に活かせていない。
で、もっと大事なのがこっちで、発達の遅れ全体を押し上げるような活動、働きかけになっていないってこと。


発達援助って聞くと、なにか発達の遅れやヌケを治していく“技”っていうイメージを持たれている方も少なくないでしょう。
私の発達相談にも、「治し“方”」を教えてもらいたいと依頼してくる親御さんもいます。
しかし、私がお伝えするのは技じゃないんです。
技だと、なにか特定の動きやスキルが獲得されて終わりってなっちゃうからね。
「ハイハイはうまくなったけど、発達障害は治っていない」状態を避けたいから。
私が行う発達援助とは「子どもがよりよく発達するための生活のデザイン」なんです。


冒頭でお伝えした通り、子どもが一番発達するのは遊んでいるとき。
その遊びも、やらされる遊び、受け身の遊びではなく、時間を忘れるような、没頭する遊びだね。
もちろん、子どもが自ら「やりたい!」と思い、なにをやるかを選択する必要がある。
だから、①『子どもが思いっきり遊べる環境を作る、その時間を保障すること』
②『遊びで得られている発達刺激を分析し、もっと幅がでるような、もっと刺激の種類が増えるように、「こういった活動も楽しいかもよ」と同じ刺激で別の活動へと導いていくこと』
③『身体の不具合があって、思いっきり遊べない状態なら、そこを弛め、よりよく遊べるための身体を整えること』
こうやって子どもが主体的に自分自身を発達させていけるような日常生活をデザインしていくことが発達援助だと考えているんです。
そこには「ヒトの発達を他人がいじることなどできない」という畏怖の念がある。


特定のアプローチにのめり込む親御さんを見るたびに、子どものことを信じていないんだろうと思う。
だから、子どもよりも、アプローチのほうに意識が向いてしまう。
たしかに発達が遅れているかもしれない。
だけど、それは今の時点であって、1年後、3年後、10年後、ずっと遅れたままという意味ではないでしょ。
それに「発達が遅れている」イコールその子の神経が、発達する力が弱いということにはならない。
子ども自身がもっている育つ力、発達する力を信じ、子どもが自ら育ち、発達していけるような生活を創造していく。
生活に活きる動きこそ、様々神経が動員されるから、その子の発達全体を押し上げてくれるんじゃないかな。
子どもの主体的な育ち、発達を援助するから発達援助だね。




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