tag:blogger.com,1999:blog-3046685675153959976.post1703920902819696327..comments2023-06-12T13:28:09.124+09:00Comments on てらっこ塾瓦版: 万年野党(ブ)大久保 悠 / てらっこ塾代表http://www.blogger.com/profile/08104775551092476851noreply@blogger.comBlogger2125tag:blogger.com,1999:blog-3046685675153959976.post-79599930994595490392017-03-12T16:25:49.356+09:002017-03-12T16:25:49.356+09:00「社会」の一員さんへ
コメント頂き、ありがとうございます。
何度も読み返させていただきました。
...「社会」の一員さんへ<br /><br />コメント頂き、ありがとうございます。<br />何度も読み返させていただきました。<br /><br />私の読解力不足かもしれませんが、文面から伝えたいことを読み取ることができませんでした。<br />それぞれができる活動を行う、それぞれの価値観、信念の元に。<br />それで良いと私も思いますし、考えや意見が違えど、その人に対し、止める権利はないと思います。<br />私の考え、意見と同じになる必要はないですし、私も「社会」の一員さんの考え、意見と同じになる必要はないですね。<br /><br />このように文面に対し、返信していると「社会」の一員さんが伝えたかった意図とかけ離れていくような気がします。<br />あくまで、これは私の中の違和感でしかありませんが。<br />もしかしたら、「社会」という文字に本当の想いが込められているように思えます。<br /><br />このブログか、過去のブログかはわかりませんが、また実生活の中で感じられているのかもしれませんが、自分たち障害を持った子の家族が孤立感や「社会」から乖離している印象を持たれたのかもしれません。<br />ただ私は、障害を持った方も、ほかのマイノリティーの方も、社会を構成しているのは当然だと思っていますので、特別、意識するようなことはありません。<br />ですから、社会を構成している人達が社会とつながる、という意味がわかりません。<br />社会には、いろいろな人を受け入れる度量があります、特に今の日本には。<br /><br />ここからは、私の勝手な連想です。<br />私には、どなたからコメントを頂いたのか、わかりません。<br />私のブログは、SNSで拡散されることもありますので、たまたま見かけ、たまたまコメントをいただいたのかもしれません。<br />ある意味、どんな内容でも書きこめるコメント欄であるのにも関わらず、「・・・」や遠回しな表現が目立ちます。<br />もしかしたら、実際にお会いしたことのある方なので、気を使われてマイルドに表現されているのかもしれませんが。<br /><br />まあ、とにかくこういったコメント欄でも、想いがあるのにストレートに表現ができないというのは、そこに課題があるような気がします。<br />いつも周囲の目、嫌われないように、と他人軸で生きられているのでは、と連想します。<br /><br />たぶん、啓発活動、青いお祭りに従事された経験のある、または従事している方ではないでしょうか。<br />私のブログでは、啓発活動に対し、批判的なものが多いので、このブログもそうですが、そこにひっかかりを持ち、コメント記入に至ったのでは。<br /><br />信念を持って、啓発活動に従事しているのでしたら、それはそれで良いですし、わざわざコメントまで記入しないはずです。<br />ということは、啓発活動にも、ご自身の中に揺らぎがあるような気がします。<br />揺らいでいるところに、啓発活動の否定のブログ→自分の揺れとバランスをとるために「社会」に働きかけることも大事、とコメントされた。<br /><br />この文面からも、伝わってくる雰囲気からも、私と議論をしようという感じは受けません。<br />ですから、ご自身のために書かれているコメントのような気がいたします。<br /><br />もし信念を持って社会に働きかける、啓発活動も行うというのでしたら、応援しています。<br />今日よりも、明日が良い社会になるよう行動するのは、大人たちの務めです。<br />しかし、より良い社会を目指す前に、目の前にいる子を幸せにする方が大事なことだと思います。<br />目の前にいる子が幸せになれば、社会の中に幸せな人が1人増えることになります。<br />そして、その子が大人になって、幸せな社会を作る方に変わるのです。<br /><br />子どもを育て、成長させるためには、親御さん自身が他人軸を脱しなけ<br />ればなりません。<br />信念のある人間を育てるには、芯のある人間が必要ですから。<br />勝手な連想、失礼しました。大久保 悠 / てらっこ塾代表https://www.blogger.com/profile/08104775551092476851noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-3046685675153959976.post-10208768089280119062017-03-12T09:20:47.000+09:002017-03-12T09:20:47.000+09:00辞書によれば「理解」とは、「物事に対してそれが何であるか、何を意味するのかを正しく判断すること」また...辞書によれば「理解」とは、「物事に対してそれが何であるか、何を意味するのかを正しく判断すること」または、「物事のすじみちをとき分けること。内容・意味などをのみこむこと」とあります。私も障害を抱えるわが子も、「社会」と対して存在しているわけではなく、「社会」を構成するものとして存在しています。「社会」の最小単位が「家庭」です。家庭の中で、親も子も「お互いを正しく判断すること」は大切なことだと思います。「社会の理解」については、私たち家族とそれ以外のかかわりも「社会の理解」に含まれますが、一人ひとりが「社会」を構成しているわけですから、大久保さんのおっしゃる「社会の理解ガー」のご意見は、障害当事者であるわが子や私たち家族に対しても向けられているご意見として受け止めなければ・・・と思っています。「理解」と言う言葉の意味するところも、「社会」を構成している様々な立場の方々によって、それぞれの立場にあった意味づけがあるのを知りました。それは一様ではなく、それぞれに意味深いものがあります。人一人の力には限界があります。できる人が、できる事から始めていく・・・それでいいと思います。世の中には、「これが絶対正しい」というものはないように思います。大久保さんのおっしゃる「青の祭り」も、それならできる・・・という方々がやっていることだと思います。大久保さんは、大久保さんしかできないことをする・・・それでいいと思います。大久保さんのような活動はできないけれど、「青の祭り」になら参加できるという方は、そうしたかたちで活動すれば良いだけのことではないでしょうか。いろんなタイプの人がいて、みなそれぞれ興味の対象も違いますし、価値観もできることも違う・・・「社会」はそうした人達の集まりですから、いろいろあって当然だと思っています。私たち家族も「障がい者家族」として「社会」を構成しています。「社会」の中で、私たち家族ができることを考えながら暮らしています。支援も受けますが、私たちから「社会」働きかけていくこともできるはず・・・と思っています。でも、それは大久保さんと同じにはなりませんね・・・当然のことですが。「社会」の一員noreply@blogger.com