渡る特別支援は鬼ばかり

冬の時期は朝起きると、窓に水滴がたくさんついています。
その水滴をきれいにとるのが、一日の始まりです。
今朝は、そんな水滴が凍っていました。
近頃は「南の島で暮らしたい」「雪のない土地に移住したい」が口癖になっています。
早く春が来てほしいものです。


げんなりするような氷点下の毎日に耐えられるのは、春が訪れることを知っているからです。
もし年によって春が来たり、こなかったりしたら、私は耐えられないと思います。
九州生まれの私にとって、冬の唯一の楽しみは次に春が訪れることです。


子ども達の発達というのは、直線的ではありません。
それまであまり変化のないように見えていたのに「急にグッと成長した」なんてことはよくあります。
私も実際に接していると、「子どもの内側でじわじわと神経がつながり始め、つながった瞬間パッとできるようになる」そんな感じに見えることが多々あります。
ですから、変化がないように見えても、効果がないように見えても、子ども自身がその発達課題をやりきるまで、神経をつなげ広げるまで、信じて待つことが大切だといえます。


子どもの発達、成長を信じて待つのは、親御さんも一緒です。
しかし、我が子との一対一の関係になりますと、どうしても不安に思ってしまいます。
外から見て成長が感じられない時間が続きますと、「やりかたがまずいのかもしれない」「このまま成長しないのかもしれない」と頭の中で不安な感情がグルグルしてしまう。
暖かくなり、雪が解け、植物たちが芽を出し始めることがわからなければ、不安がつのっていくのは自然なことです。
だからこそ、支援者は春の訪れを伝えられる人でなくてはならないのです。


初めて障害と向き合い、どのように発達、成長していくかが想像しづらい中を歩く親御さん。
しかも発達が直線的ではなく、ある日突然、急激なカーブで表れますので、なおのこと、変化が見られない時間は長く感じます。
さらに、本来はその不安を和らげる立場である支援者が、弱った時期を嗅ぎ分け、甘い言葉を囁いできます。
「頑張らなくて良いんですよ~」
「一生涯の支援がこの子達には必要なんですよ~」
そして時には「無理させたら、二次障害になりますよ!」「障害を受容できていないよ、母さん!」と厳しい言葉を投げかけ、DVのように洗脳し、逃げられないようにしていくのです。


さらに、さらに、お客さん確保に必死な支援者だけではなく、同じ親たちも手を引き、足を引っ張ろうとしてきます。
「頑張りすぎですよ、〇〇ちゃんママ」
見ないようにしてきた“頑張れない自分”を見るのが怖いから…
ギョーカイ人から「勧誘成功ごくろうさま」とお褒めの言葉をもらうことで、自分の存在意義を感じようと自己治療したいから…
頑張っている、頑張ろうとしている親御さんに近づいていき、その腕と足を掴もうとする。


このように、ただでも不安を感じやすい状況、時間が続く親御さんに、不安を和らげてくれると思っていた支援者が、一緒に子育てを頑張っていける仲間だと思っていた親御さん達が、裏の顔を隠してやってくるのです。
芽が出る姿を想像できない親御さんは心が折れてしまい、子育てに無力感を持ち、頑張る気力を失っていく。
そうして、新たに頑張る親御さんを見ると、足を引っ張りたくなってしまう。
この負の連鎖が少なくないと思います。


その子の受精から今までの物語、流れを掴むことができれば、未来の姿を見ることができます。
今はじわじわと神経を繋げている時期なのか、回数券を使い切っている途中なのか、発達のヌケを埋めないまま支援してしまっていて成長できないのか、それがわからないと支援者とは言えません。
漁師が海を見て、魚の群れがわかるように、支援者も急激に上がる成長の波がわからないと仕事にはならないのです。


私自身は、何月何日までは言えませんが、月単位では変化の波を見ることができます。
もちろん、それにはその子のストーリーをどれだけしっかり掴めているかが関係していますが。


初めての“障害”で、渡る特別支援は鬼ばかりの中を歩く親御さんは孤独になりやすい。
だからこそ、私は腕を磨き、今どのような時期なのか、具体的にいつ春が来るのか、春にはどのような姿になっているかを、より正確で具体的に、よりリアルにその姿を伝えられることを目指しています。
厳しい寒さの中、春の温かさを届けられるような支援者であり、春になったらどんなことをしたいか一緒に楽しみながら話せる支援者になりたいと私は思っています。

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