信念を持った生き方を

近頃、自分でも“定まった”という感覚があります。
揺らぎはありますが、揺らぎながらも、ある一定の場所に向かって前進している感覚です。
立ち止まっての揺らぎがなくなりました。
私に“定まった”という感覚を与えてくれたのは、「治る」であります。


「治る」という言葉が、治った人たちが、私の仕事人としての生きる道を定めてくれました。
「治る」というのが、私の信念です。


「治る」という信念に向かって仕事をしていく、と表明すると、2つの意味で驚かれることがあります。
「治る」を信念にして仕事をすることに。
そして、信念を持って仕事をすることに。


事業を起ち上げてからずっとですが、「不安はないのか?」と尋ねられます。
5年半が経ちますが、不安を感じながら仕事をしたことはありません。
何故なら、私には信念があったから。
「この地域には、選択肢が必要だ。一生涯、支援者の手の中で生き続ける人生以外の選択肢が」
この信念と「治る」が出会い、私は定まりました。


「治る」という信念に驚かれるのは想像がつきますが、信念を持って仕事をすることに驚かれるのに、私の方が驚きました。
世の中には、信念がないまま仕事をしている人がいるのだろうか。
世の中には、信念がないまま子育てをしている人がいるのだろうか。
世の中には、信念がないまま生きている人がいるのだろうか。


こういった初めての疑問を懐くと、自分はどうして信念を持って仕事をし、生きているのか、それが当たり前だと思っているのか、自分の物語を振り返り、考えました。
すると、私自身が信念をもって育てられたからだと気が付くのです。


数年おきの転勤。
そういった中で子育てをしていれば、住む場所住む場所で、いろんな歴史があり、考え方があり、文化があり、人がいる。
そんな中での子育ては、信念がなければ務まらなかったのでしょう。
周りの価値観にいちいち揺らいでいたら、親子共々、土台から崩れていたはずです。


また同じように父親も、その土地土地の人と文化と歴史と対峙して仕事をしてきた。
ただ単に、その土地土地に合わせて、次の転勤まで仕事をしていたのでは、同じように勤まらなかったはずです。
40年以上も、常に第一線として大変な仕事を勤め上げました。
父親も、信念を持って仕事をしてきた、そう思うのです。


このように、私を「信念のある生き方」に導いてくれたのは、信念のある子育て、信念のある仕事をしてきた親がいたからだと思います。
「治る」という信念を定めてもらったのは、治った人たちと治すために尽力されている人たち。
また、そのような信念に向かって仕事ができるのは、親の存在が大きいのだと考えました。
子ども時代に、私は「信念に向かって生きる」という土台を築いてもらった。


私は、仕事を通して、多くの子ども達、若者達と接しています。
どの人にも、治ってもらいたいと思っていますが、それよりもその先に信念を持った生き方をしてほしいと願っています。
そのためにも、私自身が信念を持った生き方をしなければならない、と改めて思うのでした。

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