2017年5月25日木曜日

親が支援者になる必要はない

親御さんが、自閉症支援に熱心になると、子どもが伸びなくなって、自閉症支援を仕事にすると、子どもが自立できなくなる。
どこの地域にも、とりつかれたように自閉症支援をやっている親御さん、ギョーカイの片棒を担ぎ、ギョーカイ人から「頑張っている親御さん」と見られたい親御さん、そして挙句の果てに、児童デイや作業所を作る親御さん、っていますよね。
もうすでに、その“顔”が浮かんでいる方もいらっしゃると思います。


どうして自閉症支援を頑張ると、子どもが伸びなくなるのか?
それは、とっても簡単な理由。
だって、ギョーカイのやっている自閉症支援って、自分たちから完全な自立を目指した支援ではないから。
親と違ってギョーカイ人は、商売で支援をやっているのです。
そして、その多くの支援者は、愛着障害を持っている。
つまり、自分たちのために、自分たちの手の中で、一生過ごしてもらうための支援が展開されているのです。


このような自閉症支援をいくらマネしても、熱心に頑張っても、支援がないと生きていけなくなる人を育てるだけで、親としての役割であり、本能である「我が子の自立」は遠くなるばかりです。
自閉症支援に傾倒するということは、親ではなく、支援者になるということ。
別の言い方をすれば、子育てから仕事に変えること。
また子どもから見れば、親が減り、支援者が増えるということです。


そもそもThe自閉症支援の一つ、構造化された支援も、始まりは家庭での療育です。
親御さんに学んでもらい、支援者がサポートし、家庭での療育を頑張ってもらうために行われていました。
つまり、中心は家庭であり、やっていることは子育てだったんですね。
その子育ての仕方に工夫がいる。
それのアイディアが構造化された支援。
情報を整理し、わかりやすくすることで、自閉っ子により良く学んでもらおう、成長してもらおう。
そして、親御さんに子育てを頑張ったもらおう、という目的がありました。
決して、親御さんに子育てを頑張らなくて良い、療育は支援者が行うから、という話ではなかったのです。


ライセンスビジネスをけん引しているギョーカイメジャー達も、こういった歴史、事実は知っているのです。
そして、その当時の創始者たちに直接学んでいて、その人達の想いに触れているのです。
しかし、彼らは多くの支援者、親御さん達が知らないのを良いことに、自分たちの懐と自尊心を満たすために、支援者の大量生産を行っている。
それが2000年以降の出来事です。


そうして、親ではなく、支援者になった親御さんの子ども達が、どんどん成人し、その多くの若者たちが支援という枠の中で生きるしかなくなっている。
「支援を受けながら生きることが、子どもの幸せだ」というギョーカイキャッチコピーに何の疑問ももたずに、グレーの子はどんどん黒く、必要なところに支援ではなく、支援がないと生活できない人へと後押しすることとなる。


「完全に他人の手を借りず、自立している人間などいない」という屁理屈を言う人もいますが、本来、支援を受けながら生きることが、我が子の幸せだなんて思う親などいないのです。
多くの動物は、自分でごはんが食べられるよう、自らの足で自分の生活、人生を歩んでいけるよう子どもを育てようとします。
動物として、長い年月行なわれてきたこの営み、命の連鎖が、進化の過程で言えば、ほんの一瞬しか経っていない特別支援に負けるわけがないんです。


自閉症支援を頑張ってきた家庭と、子育てを頑張ってきた家庭。
どちらのお子さんが、社会の中で資質を活かせているか、より幸せな人生を送っているか、すでに結果が出ているはずです。
ですから、私は若い親御さん達に、「子育てを頑張ってください」「支援者になる必要はありません」と言っています。
発達のヌケや遅れを育て直すのも、動物としての子育てだと考えています。
構造化された支援も、より良く子育てを行ってもらうためのアイディアの1つ。
決して、親が支援者になってはいけないのです。


親としての幸せは、我が子が自立することであり、子どもの幸せは、親から自立できること。
本来、親と子が求める幸せは、同じはずです。
そうでなければ、長い年月、動物たちは命のバトンをつないでくることはできなかった。
動物としての本能、感覚を失った人、発揮できない人に根本から発達を促すことは無理だと私は思います。
だからこそ、親御さんには、親であることを大切にしてほしいのです。

0 件のコメント:

コメントを投稿