2017年5月24日水曜日

「親御さんが障害を受け入れてくれなくて…」という相談

「親御さんが障害を受け入れてくれなくて…」といった相談が、支援者側から届くことがあります。
でも、これってどういう意味なのかなって思いますね。
親御さんが障害を受け入れるかどうかで、学校として、支援機関としてやるべきことが変わるのでしょうかね?


「何々障害」という診断名があろうとなかろうと、やるべきことは、その子が困っていることがあれば、それを解決するための援助をすることであり、発達のヌケ、遅れがあれば、それを育て直すお手伝いをすること。
何も難しく考えるようなことでもなく、苦しむ人がいれば、その苦しみから救おうとする、まだ成長途中の子どもを見れば、自立していけるよう導く、それが自然な振る舞いであり、先に生きる者としての役割、責務です。


ですから、支援者側から「親御さんが障害を受け入れてくれない」という訴えをする場合、そこには言い訳が隠れているような気がするのです。
うまくいかないのは、親御さんが障害を受け入れないからではなく、あなたに腕がないから。
治しやすいところから治すのが基本なので、「その治しやすいところが見つけられない」「気づかない」「治しやすいところすら治す方法がわからない」というのが、事実なのでしょう。


一方で、このような相談をしてくる支援者側にも同情すべき点もあります。
それは、親御さんが“障害を受け入れない”という点ではなく、何もしない、何もさせない、という点です。
障害云々というのは、人工的なお話であり、そっちの方が効率がいいから、便利だから、という話なので、どうでも良いのです。
しかし、我が子が苦しむ様子を見て、「同情するだけ」「何も手を打たない」というのはいただけません。
「このままでは自立できないかも」「将来困るかも」と思えば、自然と育てるという動きが湧き出てくるはずです。
それなのに、その動きが出てこない親御さんがいる。
これは問題だと思うのです。


私のところにも、こういった親御さんからの依頼がきます。
私に連絡した時点で“動き”なのかもしれませんが、実際は“丸投げ”という方もいます。
「私には専門知識がなくて」「支援は無理で」などと言われます。
でも、それは丸投げして良い、自分は何もしなくて良い、という話にはなりません。
子どもが困難を乗り越えられるよう親も一緒に努力をする、やれることをやる。
将来の自立のために、家事を教える、一緒に手伝わせる、家のお手伝いをさせる。
こんなのに専門知識はいらないのです。
親としての役割を果たすのに、支援者の力はいりません。


我が子の障害を受け入れるかどうか、診断を受けるかどうかは、どうでも良いと思います。
でも、我が子が困っていたら、このままでは自立できないと思ったら、何かやってほしいと言いますか、何か動きたくならないのかな、って思うのです。
冒頭の「親御さんが障害を受け入れてくれなくて…」という言葉の裏には、「親御さんが我が子が困っているのに、何もしないんです」という訴えも入っているような場合もあるのです。
「別に学校と同じことを、同じようにやらなくても良い。でも、何か我が子のために、家庭でも頑張ってほしい」
そんな声が聞こえることもあります。


私は、起業してから一貫して丸投げされる家庭には改善を求めますし、それでも変わらない場合は、依頼をお断りしています。
つい先日も、丸投げされるご家庭の支援を打ち切ったばかりです。
私は子育ての代わりをするつもりはありませんし、そんなつもりで起業したわけではありません。
私はあくまで補助であり、主体は親であり、その子自身です。
大事な我が子の子育てを他人に丸投げをする。
そんな姿勢、考え方に私は共感できないのです。


支援を受けて当たり前、支援が身近にあって当たり前。
そんな環境が、こういった丸投げを生んでいるような気がします。
「特別支援はやらなくて良いけど、子育てはしようよ。だって、大事な我が子だし、未来を作る人達だから」

0 件のコメント:

コメントを投稿