2015年5月21日木曜日

障害を受け入れられなかった人が起こした事件

昨年、JR名古屋駅付近の交差点で、乗用車が暴走し、14人が重軽傷を負った事件について。
その事件を起こした人が、アスペルガー症候群の診断を受けていたとのこと。
しかも、事件を起こす10年以上前に。
これだけ大きな事件なのに、事件当初も、先週行われた初公判についても、小さくしか報道されていないように感じます(北海道だからか、私が購読している新聞には初公判について載っていませんでした)。
検察側も、弁護側も、犯行とアスペルガー症候群の関連性を指摘しており、今後は通常の懲役刑か、治療的介入かが争点になっていくそうです。

この報道の中で、「10年以上前に発達障害の診断を受けたが、受け入れることができなかった」という文章を目にしました。
「受け入れることができなかった・・・」
こういう自閉症の人はたくさんいる。
しかも、日々、私が接している人たちの中にもたくさん。

こういった人たちに共通するエピソードが、「周囲から指摘された」と「診断を受けたあとのフォローがなかった」ということ。

どの人も、自分自身の違和感は感じている。
でも、その違和感の正体を明らかにしたい人と、その違和感を取りたい人では、本人が求めていることが違ってくる。
違和感の正体を明らかにしたい人は、周囲からの指摘や医師からの診断を求めている。
でも、違和感を取りたい人にとっては、周囲からの指摘も、医師からの診断も、一番に求めていることではない。
それよりも「どうすれば、今日より明日の生活が良くなるのか」という答えが知りたい。
その人にとって「自閉症の診断」は受け入れることができないものになってしまう。
だって、「自閉症は生来のもので、治らない」というメッセージを受け取るから。

また、診断を受けたあとのフォローがないことも、受け入れられないことに大きな影響を及ぼす。
今でも自閉症と認めたくない人、その名を聞くのすら嫌な人は少なくない。
みんな「親に病院に連れていかれ、急に診断名を言われた。でも、診断名だけ言われて、その障害がどういうものかの説明はなかった。自分ではどうしようもできないものを渡され、明日からどうやって生きていけば良いかわからず、絶望しか残らなかった」と、正直な気持ちを教えてくれる。

そんな身近にいる人たちが、みんな名古屋の事件を起こした人のような犯行は起こさないとは思う。
でも、診断を受け入れらずに苦しんでいる人は多くいる。
その陰には、本人よりも、周囲の意向が反映された診断っていうものがあるのだと思う。

これから通常の懲役刑か、治療的介入かが、決定していくのだと思う。
もし、治療的介入に決まったとき、その人は受け入れることができるのかと、ふと思ってしまう。
私も、自閉症の診断を受け入れられていない人の支援を行う。
そのとき、私自身が自閉症の専門家という部分を表に出さないようにする。
あくまで、人と人との関わりであって、お互いより良い明日のためという目標に向かうもの同士であることを前面に出す。
本人自身が受け入れられていない部分を他人が触ろうとするのは、それが治療や改善に向かうとしても、気をつけないといけないことだと思う。

この被告は、社会に対しても相当な恨みがあるようだ。
ただ刑罰を与えるだけでも変わることは難しく思え、治療的介入をしたとしても、自身の自閉症について前向きな変化が起きることも難しく思える。
自閉症の特性と事件の関連性はもちろんのこと、どのような判決が行われるのか注目していきたい。
また、触法行為に至る前の介入、そして触法行為をしてしまった当事者に対する介入についても、自身のテーマとして取り組んでいきたいと考えている。

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