"引き継ぎ"の憂鬱

保護者の方とお話をすると、よく話題になる"引き継ぎ"の話。
「学年や担当が変わると、また一から話をしなければならない」
「支援者によって捉え方が違う」
「途中に変な人が入ると、誤った風に引き継がれてしまう」
などなど。
「引き継ぎは正直負担!」「ちゃんと引継ぎして!」というのが本音。

では「なんで引継ぎがうまくいかないか」といったら、やっぱり支援者ということになる。
家族は小さいときから縦断的に子どものことを見ているのに対し、支援者はぶつ切りの"あるひと時"。
そのうえ、引継ぎの資料はだいたい主観が入り込みやすいというか、主観的な資料が多い。
個人の資料の形式は組織によってバラバラで、別の組織に移ったら「う~ん」と言って、隅に置かれてしまう資料たち。
教育、福祉、医学に関わる支援者に「特別支援に携わる者は最低限これだけは」という明確な基準はない。
子どもと関わる支援者が増えれば増えるほど、うまくいかない可能性は大きくなる。
読んでもらう資料というよりは、専門用語盛りだくさんの自己満足資料も結構多い。

引き継ぎの中心が"人"になっては、いつまで経っても上に挙げたような保護者の方たちの声はなくならない。
まずは個人の資料の形式を変えるところから。
主観的な記述は、誤解があったり、書き手読み手の力量に質が左右されたりしてしまう。
だから、できるだけ客観的な記述を多くする。
そして、どこの学校に行っても、医療から学校、学校から福祉など、どこからどこに行っても使いやすいように統一した形式にする。
また、その資料を作成する支援者が受けるべき研修も統一できたら良い。
アメリカのノースカロライナ州の特別支援教育に携わる学校の先生は、初任者研修で必ずTEACCH部の研修を受ける。
どんな研修を受けるかは別にして、統一された知識と技能は支援者同士の情報の伝達をスムーズにする。

「じゃあ、そんなことできるの?」と言われれば、教育と福祉と医療が手を組んで統一したものを、というのは可能性はゼロに近い。
それぞれの考え方が違いすぎるし、それぞれが一番だと思っている。
第一、統一に向けて引っ張るリーダーがいない。
そうなると、やっぱり子どものことをずっと縦断的に見ることができる家族が、資料を作っていくことが一番現実的。
小さいときからの資料を積み重ねていく。
子どもに関わった支援者からの情報も、保護者の方が作る資料の中に入れていく。

本来なら支援者がやらねばならないこと。
教育から、福祉から、医療から、主役を子どもの方に取り戻す必要があると、私は思っている。
海外のような明確なシステム、法律作りも重要だ。
そして家族以外に、子どものことを小さいときから大人になってもずっと知っていて、理解している支援者が地域にいることが望ましいと考えている。

コメント

  1. おっしゃる通りです。偽物かまぼこ風味のばったもんばかりです。プロとして働く姿勢がまるでみられません。大久保さんが先頭に立って、新しいモデルを作って行きましょうよ。勿論応援します。

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    1. niwaさんへ
      応援のメッセージ、ありがとうございます!
      本物は口先ではなく、行動で示す人のことを言うのですね。
      niwaさんは、必要とあれば、全道どこへでも行き、自分の持っているものを届けていますね。
      そこには見返りを求めるのではなく、"本物"をみんなに届けたいという想いを感じます。
      分野は、木育と自閉症支援というように違いはありますが、常に新しいものを創造している姿に大きな刺激をいただいています!
      私もniwaさんのように、この道南から新しいモデル、メッセージを発信していければと思っています!

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